クラークスは滅びんよ、何度でも甦るさ!
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クラークス 人生を走り続ける人々へ。
猛暑が連日続くという異常気象。
これがハワイであればまだ湿度も少なく快適に過ごせるのかなと思い描いてみたり。。。
で、今回はサム・クックとハワイというテーマでいこうかと。
その前に、今年はサム・クック関連のモノを色々と形にしていこうという趣旨に、ツイッターのフォロワーさんからも加勢して頂いたのでその紹介から。
暑さからハワイを思い描くのは簡単だが、サム・クックを描くのは難しいと言われながらも、2点の素敵なサム・クックを描いて頂いたのはイラストレーターのRayさん。
それを何枚ものパターンでTシャツとトートバッグに印刷して頂きました。
一つ目はマイクの前で”It’s All Right”を歌っているサム・クック。
これを着ているとサムが呪文のように「大丈夫だよ」と肯定してくれるというありがたいTシャツ(笑)
これでこの暑さにも耐えれそうです(^^)
そして二つ目はヘアカットが終わってさっぱりとしたサム・クック。
サムの周りはヒット曲で埋め尽くされ、左下にはブログタイトルである”SAM COOKE TASTE HUNTER”の文字も入れて頂きました。
そこにはサムを刈り終わった僕がシルエットで登場し、刈毛も”Sam Cooke”で文字られてるという粋なデザインに(笑)
いやぁ、クールにポーズを決めるサム、カッコいいです。
沢山頂いたのでシェアしたいくらい嬉しいです。ほんとRayさん、ありがとうございました!
少し自慢させて頂いたところで、お待たせしました、では本題のサム・クックとハワイのお話へ。。。
とりあえずサム・クックとハワイに何か関連はないかと検索してみると、出てきたのはこのサムと同姓同名の白人男性。
Sam Cooke (March 9, 1937 – December 2, 2015)
シンガーのサム・クックより6歳年下で、2015年に78歳で亡くなられてるようだ。
しかしこの方、こうやってネット検索で出てくるくらいなので、ハワイではかなりの著名人。
肩書も多く、ハワイ・コミュニティ財団理事長、クック財団の会長、ハワイ自然保護委員会の創設会長、ホノルル美術館の理事会会長などを務めたビジネスリーダーでありコミュニティと慈善事業に情熱を燃やしていた人物だった。
名前だけでなくこれだけでもシンガーのサム・クックもやっていそうなことだが、ハワイのサム・クックさんの祖父は、クラークスデイルからシカゴに移住したサムの父親と同じように、1837年にハワイに移住してきて、カメハメハ大王とも面識があった有名な宣教師だったというのがまた驚き。
祖父母が建てた歴史的建造物の保存にも専念していたそうだ。
二人は年齢的にもそう離れてなかったので、サムが存命であったなら同じような志を持った者同士のツーショットも見れたかも。
彼らがタッグを組めば世界が良い方向へと向かう事業でも興していたかもしれないな、なんて。
そもそもサム・クックとハワイを今回のテーマにしたきっかけは下の記事の流出からだった。
記事の内容は、ハワイはホノルルにあるシヴィック・オーディトリアムで、”13th Show Stars”というショーに出演するためにハワイに訪れているというものだった。
写真はハワイのスターでシンガーのロニー・ダイアモンド(Ronnie Diamond)(左)と、ハワイで有名なDJのトム・モファット(Tom Moffatt)(右)。
その時のショーのフライヤーがこれら。
March 6-8, 1959 Civic Auditorium, Honolulu, HI
ドン&デューイ(Don & Dewey)や、リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズ(Little Anthony & The Inperials)も、このショーに出演していたのが興味深い。
この”Show Of Stars”のイベントは毎年行われていたようで、サム・クックの出演した時が13回なのに対し、19回のときには日本から平尾昌晃が出演していた。
ハワイから平尾の元にラブレターでも届いたのだろうか。
カナダからではなくハワイからの手紙だったようだ(笑)
話がそれてしまったが、これで1959年の3月にサム・クックはハワイを訪れていたことが分かった。
この公演の3日前の3月3日に、サムはスタジオ入りし、スピリチュアルなアルバムをリリースするために”I Thank God”, “That’s Heaven to Me”, “Steal Away”, “Deep River”を録音している。
これがKEENでの最後の録音になり、”Everybody Likes To Cha Cha Cha”が当時のチャチャチャ・ブームに乗りチャート入りした頃だった。
ハワイからの帰国後には同じ3月に元妻のドロレスが事故死してしまうというアクシデントもあった。
興味深いのが、先ほどサムと写真に写っていたDJトム・モファットとの繋がり。
トム・モファットは長年DJと共にプロモーターとしてもエンターテ
メント界で功績を上げ、2016年に他界した後、オアフ島のカピオラニ公園にある屋外施設のワイキキシェルの名称の冠となり「Tom Moffatt Waikiki Shell」となったそうだ。
自主出版でサム・クックの伝記本を書いていたB.J.ルールさんによると、そのモファットはハワイ出身のある有名シンガーの父親と親交があったというのだ。
僕もずっとサム・クックのテイストを感じ続けていた、ハワイ出身の歌手というのはそうこの人。
ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)。
彼の父親とトム・モファットと親交があったというのだ。
モファットはブルーノ・マーズの父親と親交があったというだけでなく、ブルーノ・マーズのライブのプロモーターもこなしていた。
ここで間接的なれど、サム・クックとブルーノ・マーズとが繋がった。
以前からブルーノ・マーズもフェイスブックなどで、いつも聴いているプレイリストを紹介していたことがあり、そこにサム・クックがあったのが気になっていた。
彼もまたサム・クックに影響されたフォロワーの一人だった。
多分、サム・クックがハワイにやってきた時のことや、サムというシンガーの素晴らしさを、モファットから聞かされてきたに違いない。
ブルーノ・マーズから発せられるあのハスキーでソウルフルな歌声、そして彼が生み出すハワイの日差しのように明るくも甘いあのメロディは、まさしくサム・クックからの継承。
そして自らもサム・クックにインスパイアされたと言って作った曲がこれだ。
Bruno Mars If I Knew [Live in Paris ]
サム・クックが頻繁に使っていた”I Know”(知った)と、ブルーノ・マーズの”I Knew”(知ってた)。
モファットが「おい、ブルーノ!サム・クックって偉大なシンガーを知ってるか?」の言葉に対し、ブルーノ・マーズは「おじさん、当然じゃないか、そんなこともうとっくに知ってたよ!」、とやり合ってる様が伺えるタイトルだ。
それは僕が、ブルーノ・マーズがサム・クックから受けた影響など調べることなど馬鹿げてるとでも彼から言われそうなほど、当然のように彼の中に受け継がれリスペクトしていた。
サム・クックとハワイ。
もう、サム・クックとブルーノ・マーズが繋がっただけで十分だった。
Tシャツと共に大きな収穫だ。
ありがとう。
最後はビング・クロスビーのカバーでサム・クックが歌うハワイアンで(^^)
Sam Cooke – Sweet Leilani
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