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孤独の広場
こんにちは。
クリンヴィア ムジーク アカデミーです。
皆さま〜!熱中症大丈夫ですか!?
食事の塩分量がガゼン上がっている梅田です。
この暑さですから、多少しょっぱくても「うま〜!」と食べれてしまいます。
高血圧が心配です…(笑)
本日は、の投稿日です!
才能のヒミツでは、文字どおり「才能教育」について私たちの意見をツラツラと書いています。
これまでは、子どもだとか大人だとか、あまりそういう年齢に縛られることなく、人が持つ生来の才能を育てることを目的としてご紹介してきました。
しかし、才能を育てることに関して、「乳幼児からの早期教育」がとても重要であることに異論をはさむことはできません。
子どもと大人とでは、その学習方法が根本的に異なっているためです。
子どもは、「ある情報を直感的に処理し定着させる」ことに対して、大人は、「ある情報を過去に培ってきた情報を基に処理し定着させている」と考えています。
子どもは、その情報によって「新しい基準」を作っていきますが、大人は、これまでに「何らかの基準や視点」を作ってきているため、自身の中に技術を習熟させるまでに時間がかかるのではないかと考えます。
ですので、本当の意味で才能を開花させるためには、やはり「早期教育」が必要になる、ということです。
しかし、ある特定の分野への過度の早期教育は、一つ間違えばその人の人生すらも壊しかねない、非常に危ういものであると感じています。
Every man of genius sees the world at a different angle from his fellows, and there is his tragedy.
Henry Havelock Ellis “The Dance of Life”
どんな天才も周囲と違った角度で世の中を見るが、ここに彼の悲劇がある。
ヘンリー・ハヴロック・エリス 「人生の踊り」
ここでは、そんな早期教育に関するあるモデルについてお話ししたいと思います。
そのモデルとは『渡辺茂夫』。
戦後復興の時代に神童と呼ばれ、天才的なヴァイオリン演奏で人々を魅了した人物です。
母が仕立てたという半ズボンのスーツに身をつつんだ賢そうな少年。
ヴァイオリンを構えていなければ、普通の、当時どこにでもいたであろう男の子です。
渡辺茂夫さんは、真珠湾攻撃の半年前である昭和16年6月26日に東京に生を受けました。
音楽一家に生まれ、母もヴァイオリニストとして活躍していたと言います。
茂夫少年は4歳から叔父である渡辺季彦氏よりヴァイオリン教育を受け始めました。
茂夫少年が5歳になる頃、両親の離婚に伴い、自然の流れで叔父である渡辺家の養子となりました。
[季彦氏と茂夫少年]
ここから壮絶なヴァイオリンの英才教育が始まりました。
季彦氏は、レオポルド・アウアーやカール・フレッシュといった巨匠の奏法を基に自身のメソードを完成させており、その奏法を全て茂夫少年に指導したと言います。
[レオポルド・アウワー]
[カール・フレッシュ]
一日8時間のヴァイオリン練習などはざらで、自身が演奏する曲を完全に理解するためにピアノ伴奏の練習もかかさなかったと言います。
神童と呼ばれる茂夫少年。
彼とその他の子どもとは何が違ったのでしょうか?
季彦氏は、少年時代の茂夫さんについてこう語っています。
『大変厳しく指導した時も、決して途中で練習をやめなかった』
季彦氏は、ヴァイオリンを始めた茂夫少年に対し、才能を感じるどころか全くヴァイオリンに向いていないと思ったそうです。
しかし、茂夫少年は練習することを諦めませんでした。
そうした厳しい生活を1年間、そこから急激に才能を開花させたと言います。
ヴァイオリンを始めて2年後となる昭和23年12月10日、茂夫少年は第1回目のリサイタルを開催します
そのステージで演奏された曲に誰もが驚嘆しました。
パガニーニやタルティーニなどの一流の演奏家にとっても難しい曲を、茂夫少年は一糸乱れぬ正確なテクニックで演奏したのです。
ステージに立っているのは、半ズボン姿で1/4スケールのヴァイオリンを構えた少年。
あるメディアは神童と、あるメディアはメニューインの再来と絶賛しました。
茂夫少年の先の活躍は、下記のURL先の動画サイトで閲覧できますので、詳しくはそちらでご覧いただきたいと思います。
前述のとおり、茂夫少年はその天才的な演奏で日本の楽壇に登場しました。
協奏曲を協演した日本の交響楽団はもちろん、ヤッシャ・ハイフェッツ、デイヴィッド・オイストラフ、マルコム・サージェントなど、錚々たる巨匠達にその天才を絶賛されました。
[ヤッシャ・ハイフェッツ]
[デイヴィッド・オイストラフ]
[マルコム・サージェントと茂夫少年]
特に、茂夫少年が唯一尊敬していた演奏家 ヤッシャ・ハイフェッツには、ニューヨークにあるジュリアード音楽院のイワン・ガラミアンに師事して勉強を続けるよう薦められたのです。
[イワン・ガラミアン]
ここから茂夫少年の歯車が狂い始めました。
ジュリアード音楽院の授業料全額免除の特待生として入学した茂夫少年は、当時世界一のヴァイオリン教師として名高かったガラミアンすらも惚れこませました。
ガラミアンは、茂夫少年を自宅に下宿させ献身的に指導を行いました。
しかし、茂夫少年とガラミアン。
両氏には埋められない決定的な違いがあったのです。
それは「奏法」でした。
茂夫少年の奏法は、アウアーやフレッシュの奏法を基に父の季彦氏が改良を重ねた独自の奏法で、弓を深く持つ特徴的なスタイルでした。
しかし、ガラミアンが指導する奏法、いわゆるガラミアンシステムは、弓を浅く持つスタイルの奏法だったのです。
日本のヴァイオリン界の重鎮である江藤俊哉氏は、この奏法の違いについて「天と地ほどの差がある」と語っています。
自身の奏法が、そして音楽が理解されない精神的負担が、茂夫少年を追い込みました。
1957年11月5日。
異国の地で、師とも折り合いがつかず、精神の不安定から学校にも通えず、奨学金も絶たれた16歳の茂夫少年は、睡眠薬の多量接種により危篤状態に陥り、一命は取り留めたものの、脳障害のため二度とヴァイオリンを演奏することができなくなりました。
彼の演奏、そして彼の自我は、10代半ばになるまでにすでに完成していたのかもしれません。
幼少の頃より厳しいヴァイオリンのレッスンを続け、世界の巨匠から高い評価を得ていた彼は、留学によって初めての挫折を味わいました。
周囲にその挫折を超えるサポートを行う家族がいれば、最悪の結果は免れたのではないでしょうか。
ガラミアンは間違いなく名教師でした。
名教師だからこそ、絶対的な自身を持つ自身の教育システムを曲げることができなかったのかもしれません。
天才は、一般には理解できない別視点を持っています。
その別視点を周囲に認められるまでに、必ず『拒絶』を経験することになります。
あまりにも早くから絶対的な価値観を自身の中に確立することは、長い人生において人を大変神経質にさせるのではないでしょうか。
それは、同じレベルで意思疎通を取れる人が見つけにくいことや、周囲からの孤立によって起こるのかもしれません。
渡辺茂夫という天才を作り上げたのは、紛れもなく父 季彦氏でした。
早期教育の重要性、一日8時間以上にも及ぶヴァイオリンの演奏技術の練磨、そして作・編曲に至るまでの徹底的な指導、絶対音感といった季彦氏のメソードは、英才教育における一つのモデルタイプとして大変参考になるものです。
茂夫さんが、生まれながらヴァイオリンへの先天的な才能を持っていたかどうかは、誰にも分かりません。
しかし私は、天才教育への鍵が『1年間』の反復的なレッスンにあるのではないか、と考えています。
当教室においても、早期教育に力を入れると共に、このブログでも引き続き「天才」にフォーカスして投稿を続けたいと思っています。
こども音楽家ラボvol.2『こどもミュージカル・チャレンジ』
日にち:2018年8月6日(月)
対象年齢:4歳〜9歳まで
時間:参加グループによってお時間が異なります。
Aグループ(4歳〜小学1年生未満) 10:00開場 10:15開始
Bグループ(小学1年生〜3年生) 12:30開場 12:45開始
Cグループ(ご兄弟・ご友人同士で参加) 14:30開場 14:45開始
入場料:参加者お一人につき1,000円 聴講者お一人につき500円
会場:西巣鴨音楽堂 *都電荒川線「庚申塚」駅より徒歩2分
お申し込み方法:下記「クリンヴィアお客様窓口」までお問い合わせください。
tel 080-3523-6582
web
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