あなたのそばに 至高体験
現在、新しいメインのブログを、「はてなブログ」に移していますが、こちらの「アメブロ」にも、まだまだ、たくさんの読者の方がいるようなので、大切な記事は、こちらでも、たまに再掲載させていただきます。
ただし、この旧ブログは、あくまでも再掲載用です。
しばらくは、ここにも、過去の記事をアップしますが、そのうち、全ての記事の掲載を、新ブログのみに書くことになると思います。
新しい記事は、「はてなブログ」のみに書きますので、すこしづつ、新ブログの方を読むようにしてください。
新ブログのリンクは、最後に貼ってあります。
では、再掲載シリーズの第二弾です。
2008年の秋に飲み始めた、「ミトコンドリア・クリーナー」、とうとう、今年で、10周年になりました。
ほとんどのサプリメントや薬は、どんなにいいものでも、だいたい、3か月もすれば、身体が慣れてしまって、徐々に必要のないものになってしまいます。
しかし、このサプリメントだけは、あれから10年近い歳月が経っても、毎日飲んでいます。
これは、よほど身体にとって自然なものであり、とても身体が欲しているものだという証拠だと思います。
2008年9月の話ですが、人生最大の試練を経験していました。
とっても苦しくて、この時ばかりは、
「もうダメだ…」
と音をあげてしまいました。
ただ、15年間、パワーリフティングの競技で、鍛えた精神力が、ここで、いきてきました。
どのスポーツでもそうですが、鍛練というものは、
「もうダメだ…」
と思ってからが、本当の練習なのです。
パワーリフティングの選手時代、バーベルを持ち上げていて、まさに、1回も上がらなくなり、
「もうダメだ…」
と思ってから、さらにもう1回持ち上げることを、繰り返していました。
この「あともう1回」が、パワーアップの秘訣なのです。
こういうところで、鍛錬が、活きてくるとは思いませんでした。
その苦しみの中、一人の友人が、私に、一つのサプリメントを持ってきました。
「トーマさん、ずいぶん、お疲れみたいですね。これっ、とっても素晴らしいサプリメントなんですよ。飲んでみませんか?」
正直言って、それを差し出された時、
「またか…」
と思いました。
なぜなら、私が、パワーリフティングの選手時代から、サプリメント愛好家だと、知っている友人たちが、ありとあらゆる、サプリメントを持ってくるからです。
もう、たいていのものは、飲んで知り尽くしているからです。
どのサプリメントも、とってもいいのです。
だいたい、私に、紹介してくれるものは、100点満点の150点くらいのものなのです。
だから、その時も、
「ふ~ん。まあ、ちょっと、試してみるか…」
くらいの気持ちだったのです。
ただ、飲む前に、この友人が言った言葉に、ちょっと心が、ときめきました。
「このサプリメント、体内の細胞内のミトコンドリアを、綺麗にしてくれるものだそうですよ」
これを聞いて驚きました。
なぜなら、パワーリフティングを、やっていた頃、一人の偉大なパワーリフターを、尊敬していて、その選手を目標に、トレーニングしていたのです。
その選手は、アメリカで、1960年代くらいに活躍していた、ポール・アンダーソンという選手でした。
今でも、ギネスブックに、掲載されていると思いますが、スクワットという種目で、560キロ持ち上げ、トータル、1200キロという記録は、今でも公式には、破られていないそうです。
当時は、ドーピングもなく、プロテインなどのサプリメントもない時代でした。
その時代に、これほどの記録を出すというのは、どういうことなのか、興味があったのです。
1990年頃の専門誌に、その秘密が、記事として掲載されていました。
世界中の科学者が、ポール・アンダーソンの身体を、徹底的に調べた結果、「ミトコンドリア」だという結論に、到達したそうなのです。
詳しい話は、省略しますが、とにかく、筋力や持久力、柔軟性など、スポーツの競技能力の鍵を握っているのが、「ミトコンドリア」だということを知って、ずっと、このミトコンドリアのことは、頭から離れなかったのです。
久しぶりに、「ミトコンドリア」という単語を聞いた私は、これに興味をもったのでした。
「3粒から5粒を、食前に飲んでくださいね。空腹時が、効果があるみたいですよ」
こう言われて、疲れていたいので、5粒飲んでみました。
すると、数分したら、頭が、ぼっーとしてきて、気持ちよいエネルギーが、身体じゅうに広がってきました。
カッーと体温が、上がってくるのがわかりました。
身体中の細胞内のミトコンドリアが、元気になって、動いているような気がしてきました。
そして、今までに体験したことのないエネルギーが、頭上から、降りてきたような気がしました。
とっても深い瞑想状態に入りました。
今までで、最高の瞑想でした。
だんだん、身体の感覚がなくなってきて、宇宙と一体になったような気がしました。
その後、やさしい存在に、見守られているような気がしてきました。
いわゆる、「ハイアーセルフ」という存在だと、思いますが、ここまでは、今までにも、何回か、体験したことが、ありました。
どのくらいの時間が、わかりませんが、それから、しばらくすると、なにか、もっと凄い存在と、繋がったような気がしました。
「…。…。…。」
もう、言葉にできないような体験でした。
「宇宙そのもの」、「愛そのもの」、「神」という表現が、ピッタリの至高体験でした。
これも、どれくらいの時間か、わかりませんが、しばらくして、少しづつ自分の身体に、戻ってきました。
戻ってきてすぐに、
「ハイエストセルフと、繋がった…」
という言葉が、自然に口から出てきました。
そして、それまで、あんなに苦しんで、悩んでいた、人生最大の試練が、
っても小さく見えてきたのでした。
「なんだ、全ては、完璧じゃないか!」
こう思えて、みるみる笑顔が、蘇ってきました。(笑)
おそらく、私の魂が、あまりにも、苦しんでいたので、目に見えない存在たちが、このサプリメントを、私の目の前に、持ってきたのだと思います。
本当に、大感謝でした。
いつも、ピンチになるたびに、助けてくれる人が、現れるんですよねー。
この時も、そうだったのですが、まさか、サプリメントというかたちで、助けてもらえるとは、思ってもみませんでした。
人生って、面白いですね。
人や動物の細胞の中で、エネルギーを、作り出しているのが、「ミトコンドリア」という細胞内小器官で、細胞内の発電所に、たとえることが、できるみたいです。
ミトコンドリアは、球形あるいは、細長い棒状の粒子で、1個の細胞の中に、数百個いるらしいです。
もうちょっと詳しく話すと、人間の身体には、60兆という数の細胞があると、言われているのですが、一口に、60兆といっても、イメージしにくいのですが、だいたい細胞1個を、米粒1個に、例えると、六本木ヒルズの建物内が、全部、60兆個の米粒で、埋まり、溢れだして、外側に、はみ出し、さらに、建物が、半分くらい、その米粒で埋没するくらいの数だそうです。
そのくらいの数の細胞の中に、さらに、500個くらいのミトコンドリアが、いるそうです。
脳の中は、特別に多くて、3000~5000個くらい、いるそうです。
ミトコンドリアは、呼吸によって、エネルギーを、作り出す発電所ですから、ミトコンドリア遺伝子のわずかな違いが、運動能力に、影響を与えていると、予想されていたようです。
そこで、数年前に、日本の科学者たちが、マラソン選手や駅伝選手のミトコンドリアDNAを、調べたところ、10人中5人に、特別な遺伝子型が、見つかったそうです。
さらに、この遺伝子型の頻度を、日本人、1980人について、調べたところ、122人に、見つかったらしいです。
ところが、この遺伝子型が、長距離走選手において、一般人の15倍の頻度で、見つかったことから、これが、マラソンに、強い遺伝子型であると推定されたそうです。
さらに、数多くの長距離走選手の協力を得て、現在も調査が、進められているみたいです。
もしかしたら、前述した、ポール・アンダーソン選手も、この特別な遺伝子型があって、それで、トレーニングが、効率よく、容易にできたのかもしれません。
人間が、呼吸をすると、酸素を吸い込むのですが、この酸素は、細胞内で、ミトコンドリアを、酸化させ、サビつかせる働きもするそうです。
それで、ミトコンドリアの働きが、どんどん悪くなってくるのだそうです。
結果として、細胞内が酸化してきて、老化が進むのだそうです。
人間の体内には、このミトコンドリアのサビをとる機能が、もともとあるのだそうです。
ただ、20歳の時点で、この機能は、100%働いているのですが、40歳になると、80%しか、働かなくなってくるそうです。
その後、50歳で、60%。60歳で、40%。70歳で、20%。80歳だと、なんと、0%になってしまうそうです。
それで、ほとんどの人が、80歳を過ぎると、死んでしまうのですね。
老化というのは、おおざっぱに言うと、細胞内のミトコンドリアが、サビる現象らしいですね。
逆に言うと、人間は、細胞内のミトコンドリアが、酸化しなければ、125歳以上は、生きることができるように、なっているみたいです。
生物学的には、だいたい、こういう話ですが、実際には、ミトコンドリアは、もっといろいろと、面白い性質をもっているみたいです。
「人類の起源を遡ると、アフリカの一人の女性に、辿り着く」
という仮説でしたね。
実は、もっと面白い話があるのです。
友人に、教えてもらったのですが、このミトコンドリア、人間の体の中に、星の数ほど、生息しているのですが、彼らは、相互に、テレパシーで通信しているそうです。
そして、興味深いのは、ちょうど蜂の社会のような構造に、なっているのだそうです。
つまり、女王蜂のようなマザー・ミトコンドリアが、1匹いて、このマザーが、身体中のミトコンドリアたちに、適切にテレパシーで、指令を送っているのだそうです。
身体のどこの部分の細胞に、このマザーがいるのかは、よくわかっていないのだそうです。
腕かもしれないし、頭かもしれないし、お尻か、足かもしれないということですね。
さらに、興味深いのは、地球上のどこかに、このマザー・ミトコンドリアを司っている、「グランド・マザー・ミトコンドリア」も、いるらしいです。
これも、どこにいるのか、わからないそうです。
誰かの身体の中に、隠れているかもしれません。
もしかしたら、この文章を読んでいる、あなたかもしれませんよ。
もしくは、どこかの野良猫や野良犬、鳥や魚かもしれないということですね。(笑)
自分の身体の中のミトコンドリアのサビを取り、「グランド・マザー・ミトコンドリア」と、テレパシーで、繋がることも、大切なプロセスの一つに、なるような気がします。
このサプリメントが、細胞内で、どういう働きをするか、もう少し説明しておきます。
これは、もともと、欧米の科学者たちによって、研究されていた技術らしいのですが、一番の特徴は、
「細胞膜を通過する」
という技術だそうです。
これまでにも、たくさんのアンチエイジングを目的とした、サプリメントが、市場に発売されました。
どれも、まあまあの効果なのですが、それほど、感動するほどの効果は、ありませんでした。
というよりも、そもそも、
「これを、飲めば、長生きしますよ」
と言われても、それで、本当に、長生きするかどうかの検証は、100年後くらいにしか、わからないのです。
また、どのサプリメントも、飲んでも、なんか効い
いるのか? 効いていないのか? イマイチわからないというかんじです。
自分の基準としては、サプリメントでも、ヒーリンググッズでも、飲んだり、装着してから、10分以内に、エネルギーを、感じないものは、大したものではないと思っています。
本当に凄いものは、だいたい5分以内に、凄さがわかるものなのです。
ただ、あくまでも、
「自分にとって凄いもの」
という意味で、全ての人にも、凄いかどうかは、別問題です。
このサプリメントは、本当に飲んで、3分くらいで、凄いエネルギーが、身体じゅうを、流れているのが、わかりました。
今までのアンチエイジングのサプリメントと比べて、どうしてこんなに、効果があるのか、紹介してくれた友人に、訊ねてみると、
「トーマさん、いい質問をしてくれました。実は、これが、このサプリメントの秘密なんですよ。今までのものは、喉を通って、胃腸に入った途端に、実は、ほとんどが、胃液に溶けて、バラバラに、分解されていたんですよ。ところが、これは、なんと、胃液に溶けない技術が、入っているのです」
という答えが、返ってきました。
「なるほど…」
と思っていると、さらに、説明を続けてくれました。
「凄いのは、細胞内での働きです。ほとんどのサプリメントは、細胞膜で、ブロックされて、中に入れないのですが、これは、実は、細胞内のリボソームとほとんど同じ大豆アミノ酸で、できているために、細胞膜が、勘違いして、細胞内に入れるのです。だから、こんなに、効果があるのです」
ということでした。
なんでも、今までのものは、細胞内に、3%しか、入れなかったのに対し、これは、80%が、入っていくのだそうです。
外国では、細胞内に、このサプリメントが、入っていく映像が、カメラで撮影されたのだそうです。
そして、この動かぬ証拠で、サプリメント業界での最高の賞を、受賞したのだそうです。
それを飲み始めて、実は、もっと凄いことになったのです。
初日から数日間は、感情の起伏が、激しくなったり、元気すぎて眠れなくなったり、逆に、身体がだるくて、一日中寝たりしていました。
それから、数日後。
まず、お腹がすかなくなりました。
お腹が、
「グ~ グ~」
と鳴っても、脳が、
「食べたくないよ~」
と言っているみたいなのです。
そして、身体の体温が、上がるせいか、ずっと身体が暖かく、うっすらと汗をかいている状態が、何日も続いたのです。
夢が、とってもクリアに見えたり、予知夢を見たり、過去生の記憶を、クリアに、思い出しやすくなったり、身体も心も霊体も、凄いことになったのです。
思考も、常に前向きに、考えられるようになりました。
そして、一番ビックリしたのは、体重でした!
なんと、どんどん痩せていき、1週間で、いきなり5キロ痩せたのです!
2週間では、7キロのダイエットに、成功したのです!
何もしないで!!(笑)
それからは、少しづつペースが落ちて、落ち着きましたが、現在でも体調は、相変わらず、いいです。
しかも、食事が美味しいのです。
細胞に、栄養が、すーっと入っていくかんじなのです。
おそらく、食べないから、自然に摂取カロリーが、少なくなったのだと思います。
そして、同時に、ミトコンドリアのサビがとれたので、彼らが、活発に動けるようになり、結果として、身体全体の代謝が、急激に上がったせいだと、思います。
運動しなくても、一日中ウォーキングをしているかんじなのです。
話は、さらに続きます。
その後、2か月ぶりに、ジムに行ったのですが、なんと、筋力が落ちていないのです!
今までのダイエットの常識だと、運動をしないで、食事制限だけで、痩せると、脂肪と一緒に、筋肉や筋力も、失われるということだったのですが、このサプリメントは、何も運動せず、食事制限もしないで、見事に贅肉だけを、落としてくれるみたいです。
筋力など、少しですが、強くなっているくらいです。
柔軟性も、ストレッチを、やっていなかったのに、変わっていませんでした。
あと、もっと驚いたのが、持久力です。
バーベルを担いで、スクワットを限界までやっても、心臓は、バクバク鼓動して、汗はかくのですが、呼吸が、なぜか乱れないのです。
これには、驚きました。
また、1時間くらい、筋トレをやって、普段は、サウナとジャグジーに、入るのですが、この日は、あまりにも、身体が軽いので、固定式のランニングマシンで、走ってみました。
すると、いつもなら、20分で、けっこう疲れてやめるのですが、なんと、40分走っても、息が上がらないのです。
あまりの身体の調子のよさに、怖くなって、40分で走るのを、やめてしまいました。
「こっ、これは、凄すぎる…」
人間って、あまりにも、いいことが起こっても、不安になるんですね。(笑)
しばらく、ジムの中で呆然と、立ちすくんでいました。
スピリチュアルな至高体験を、やっただけでも、ビックリしたのに、運動も食事制限もしないで、約2週間で、7キロのダイエットができる。
しかも、筋肉や筋力を落とさずに、贅肉だけを落とす。
身体の痛いところや筋肉のコリもとれる。
今までに、こんなサプリメントが、あっただろうか?
企業の誇大広告やほとんど嘘のCMなどでは、毎日のようにやっていますが、自分が、ここまで、体験したのは、初めてでした。
自分にとっての、アセンション体験の一つは、このサプリメント体験です。
そういえば、精神世界では、オーラやチャクラやアカシックレコードなどの霊的な話ばかり、取り上げられますが、肉体も、大事なんですよね。
このサプリメントは、間違いなく、肉体レベルから、細胞を変える、素晴らしいツールになると、思います。
肉体的なDNAレベルのアセンションは、もしかしたら、ミトコンドリアが、鍵を握っているのかも、しれません。
これからの時代は、「ミトコンドリア・アセンション」や「ミトコンドリア・ダイエット」が、主流に、なってくる予感がします。
私の場合は、
ンダントでは、いろいろな霊的な体験や若返った効果は、ムチャクチャ感じましたが、ダイエット効果は、他の人が、体験したほどは、感じませんでした。
このサプリメントは、ダイエットにも、効果があるみたいなのです。
ペンダントが、どちらかというと、霊体に、宇宙エネルギーを、入れてくるのに対して、このサプリメントは、どちらかというと、細胞レベルから、肉体に、宇宙エネルギーを、入れてくれるみたいです。
ペンダント、「アセンション」が、「キング・オブ・ヒーリンググッズ」だとしたら、このサプリメントは、「キング・オブ・サプリメント」だと思います。
試しに、キング同士が、どうなるか、実験してみました。
すると、やはり、エネルギーが共鳴するのです!!
良いもの同士って、やはり相性がいいんですね。
つまり、サプリメントを飲んで、ペンダントを下げると、お互いにエネルギーを、増幅させる相乗効果が、でてくるみたいなのです。
ペンダントを持っている方、ぜひ一度、これを飲んでみてくださいね。
他のサプリメントとの相性も、全ていいみたいです。
大好きなノニジュースと、一緒に飲んでみたのですが、ノニの果汁が、身体じゅうに広がるような、気持ちいい体験をしました。
念のために書いておきますが、これらは、あくまでも、私個人の体験談です。
全ての人が、こういう体験をするわけではないようです。
逆に、2割くらいの人は、何も感じないみたいです。
補足的な説明もしておきますが、このサプリメントは、厳密には、サプリメントでは、ありません。
なぜなら、「サプリメント」の定義は、「栄養補助食品」だからです。
これは、栄養自体は、ほとんどなく、あくまでも、細胞内部のミトコンドリアを、クリーニングするのことが、目的で、開発された錠剤みたいです。
あまりにも、凄まじい効果なので、
「麻薬物質が、混入されているのでは?」
と何回も疑ったのですが、そういうこともないみたいです。
身体にもやさしく、ほとんどが、天然成分で、できているみたいです。
主な原料は、豆などで、そこらへんにあるような、普通の植物などを、組み合わせただけみたいです。
厳密には、サプリメントではないので、とりあえず、「ミトコンドリア・クリーナー」と仮に、名前をつけました。
というのは、これだけ、紹介しておいて、申し訳ないのですが、製造会社から、インターネット上での製品名と会社名の公表は、堅く口止めされています。
おそらく、現在、厚生科学省や食品業界が、いろいろな問題を抱えているために、慎重になっているのだと思います。
たしかに、これほどの製品だったら、同業他社のサプリメント会社やフィットネス業界やエステ業界から、嫉妬で、物凄い圧力が、かかるだろうと予想されます。
名前を伏せるのは、そういう意味も、あるかもしれませんね。
私の友人の豆福さんが販売しているので、購入希望の方は、メールで注文してみてくださいね。
「トーマさんのブログで、紹介されていた、ミトコンドリア・クリナーの件で、メールしました」
と書くと、わかりやすいと思います。
お値段は、1瓶、1万4千円くらいです。
豆福さんは、一緒にランチを食べる仲なので、安心してメールしてくださいね。
いろいろと丁寧に、教えてくれると思います。
☆「ミトコンドリア・クリーナー(仮称)」についての購入については、友人の豆福さんに、お願いしますね。
○豆福さん
☆新しい記事は、新しいブログに書いています。
ぜひ、新ブログ、「はてなブログ」にも、遊びにきてくださいね!
至高体験銀座通販ショップ
がんの自然退縮〔22〕
〔20〕の至高体験は自己と世界の融合を特徴とします。二分法的概念的思考(分別知)が消失するので、自我が膨張し、宇宙あるいは「神」と一体化し、ある時は無限の光の輝きを伴いながら至福感を感じるのです。
性的快感になぞらえると、論理的思考に関与する右脳・下前頭回(Inferior frontal gyrus) の働きが弱まると同時に、善悪等二分法的な判断をする際に活性化する脳領域である後帯状皮質(Posterior cingulate cortex)と島皮質(Insular cortex)(男性では上側頭溝(Superior temporal sulcus))の働きが特に強く抑制され、副交感神経が極度に賦活化されます.交感神経が緊張する「不安」とは対処的な意識状態です。そしてオーガズムに達すると一気に交感神経が活性化され、アドレナリンとドーパミンが放出されるのです。
至高体験における流涙はこの交感神経の緊張をリセットさせるものとみなすことができましょう。アセチルコリンが多量に放出され、Tリンパ球が活性化されるものと推測されます。
瞑想しているからガンにならないというわけではありません。
瞑想三昧の生涯を送った南インドの聖者と呼ばれたラーマナ・マハーリシは胃がんとなり、毎晩、「痛い」と大声で叫ぶので、お弟子さん達は困ったそうです。
覚者と呼ばれた人でも、がんで亡くなった人は多いです。ラーマ・クリシュナは咽頭がんで、クリシュナ・ムルティはすい臓がん・・・・。
瞑想指導の第一人者と言われたY氏も60歳台初めにがんで亡くなりました。
交感神経のリセットができなかったせいでしょうか。
もっとも、生死を超越した彼らにとってガンで死ぬのは何でもないことではなかったかと思われます。クリシュナ・ムルティはガンになったことがわかったとき、「自分は何か悪いことをしただろうか」とつぶやいたそうですが。
至高体験規制法案、衆院通過
前回のブログの最後に、「次回は私の信じる「さとりをひらく」ためのもっとも「やさしい方法」について書いてみたいと思います。」と書きました。今日はその続きです。
それが五井昌久先生の「世界平和の祈り」で、先生の世界平和の祈り、消えていく姿の教えについては既に以前のブログで書きました。
中村天風師がインドでの瞑想経験から「霊性心(さとり)は容易に出てくる、雑念や妄念を払いさえすれば自然に出てくるんだ」とおっしゃったように、またエックハルトトールが「迷走、暴走する思考をストップする」ことで覚醒を経験したように、「思考を止める」ということが「さとり」「霊性心開発」の入口であるのは疑いがありません。仏教のいう「空」の境地や「空観」も頭の中を去来する様々な思考を止めることで自身の本性である仏性を覚醒させるという事でしょう。
五井先生の想念停止の修業
この「思考を止める」という修行を通じて、ご自身の神性と一体になられたのが五井昌久先生です。昨年は五井先生のご生誕100周年でした。それを記念して出版されたのが身近で先生に仕えられた高橋英雄さんが書かれた「五井せんせい わが師と歩み来たりし道」です。
この本の中で五井先生の想念停止の修業を紹介され、「五井先生が言語に絶する霊修行にて自我の想念を滅却したのち直霊と一体となったのは昭和二十四年、六月の終わりごろと聞いている。」と書いていらっしゃいます。
直霊とは大元の霊、いわば大霊で、先生が神我一体となられたこの体験がどのようなものだったかはご自身の自叙伝「天と地をつなぐもの」に詳しく紹介されています。
高橋さんも本の中でこの自叙伝の一節を紹介されています。
「私の想念停止(空観)はついに成功したのであった。私はものを想わなくなった。しかし必要があれば語り、用に応じては手足を動かし、体を働かせることもできた。私という肉体的個人はもはやこの世に存在しなくなっていた。私の過去世からの想念のすべてを天に還してしまったのである。天と地の間にただすっきり澄み徹った私がいた。久しく停止していた私の個我がすでに天の本体と合体していることを直感した。」
五井先生が創設された白光真宏会のホームページに自叙伝の一部も公開されています。
興味のある方は、以下のリンクをご覧ください。
高橋さんの本では五井先生と釈迦、イエスキリスト、老子との合体、合気道の開祖の植芝盛平先生との交流などのエピソードとともに日常の五井先生の人間的な一面も数多く紹介されています。この本は五井先生の事をご存じない方が五井先生に触れる絶好の書ですから是非お読みになることをお勧めします。
さて、今回のブログで改めて五井先生について書くのは、冒頭の天風師のインドでの修行による「さとり」やエックハルトトールの覚醒体験を凡夫、凡人が容易に実践できる方法を紹介したいからです。
先の五井先生の自叙伝「天と地をつなぐもの」や最初のご著作の「神と人間」は五井先生のご著作の中の重要なものですが、先生のご生誕七十周年記念として新装丁で出版された「老子講義」も大変重要なご著作です。
そこで、これまで書いてきた「霊性心開発(さとり)の方法」の締めくくりとして、五井先生の老子講義から、「さとり」の為のヒントをご紹介したいと思います。
無為にして為す
老子の教えのエッセンスは「無為にして為す」です。無為とは判りやすく言えば「自然体」ということであり、難しく言えば「空の境地」という事です。
即ち、「無為にして為す」とは「あれこれ考えず、妄念、雑念を払った状態で居る(行う)」という事でしょう。これについて五井先生は老子講義、第三十四講で「無為」についてこのように講じていらっしゃいます。
「無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。 何をしよう、かにをしょう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑間が当然起こってまいります。頭脳で考えないで一 体何ができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当り前であります。 ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人とは外れている人との相違なのであります。」
五井先生は肉体頭脳を駆け巡る想念について第二十七講でこうおっしゃっています。
「人間というものは不思議なもので、思わなくともよいようなことが次から次へと頭脳を駆け巡り、一体こんな想念は、頭脳の中にどんな風に潜んでいたのかなあ、などと思ったりするものです。頭脳を駆け巡る想念というものほど、あてにならぬものはありません。人間を立派にするというより、人間を混乱させる要素のほうがよけいふくまれているのが、頭脳を駆け巡る想念波動です。それは、心配、不信感、嫌悪、不安定、等々、頭脳を駈け巡る想念は、得てして、神のみ心を離れたものが多いのです。」
ここで五井先生は端的に「神」とおっしゃっていますが、これを老子風に言えば「道」=宇宙の根本原理、天風師風に言えば「宇宙霊」、エックハルトトール流では「大いなる存在」と言い換えることが出来るのは言うまでもありません。
また第ニ講でもこう述べられています。
「人間の運命を複雑にしたり、乱したりするものは、人間各自の思いに他なりません。不幸も悲哀も悲しみも怒りも妬みも、それはすべて人間の思いの波動がそれを引き起こすのであって、人間自体に不幸や悲哀があるのではないのです。熟睡している時に、その人に何の不幸観や悲哀感がありましょう。睡っている時は、その人の肉体はそこに存在しながらも、その人の想念は、その人の肉体を離れているので、その人に何らの感情も起こらないからなのであります。とすると想念さえ、悲哀や不幸の波の中にいなければ、人間には悲哀も不幸もないということになるのです。そこで、仏教では、そうした想念をすべて無くしてしまう空の境地になる練習を主として行わせたのであります。」
老子の言葉を解説されながら、五井先生は肉体頭脳を駆け巡る想念が人間本来の奥深く存在する叡智へのアクセスを妨げているとして前述の「無為」の説明に続けてこう述べられています。
「頭脳で考えないで一体何ができるのであろう、普通の
はこう考えるのが当り前であります。 ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人とは外れている人との相違なのであります。凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を唯一無二の人間と想っています。しかし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現われる一つの場所であることを知っております。それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけているのであることも知っているのであります。ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを経巡っているような想念や知識をいくら振り迥していても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない、大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけないと自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。」
ここで五井先生は「肉体は道具であり、場所であり、生命の流れは奥深いところから無限の段階で働き続けている」とおっしゃっています。
肉体だけが人間ではない
このことを第二十三講ではこのように語られています。
「人間というものは、実に不可思議なる存在でありまして、ここに肉体として存在しており、種々と想い巡らしているこの人間だけが全存在ではありません。全存在どころか、ほんの先端の現れでしかありません。凡夫というものは、この肉体人間だけを人間の全存在だと思いこんでいるのですから、眼先の事柄だけしか判りようがありません。
ところが真実の人間というものは、 この肉体より数等倍も秀れた機能をもつ体が幾層にも奥に奥に存在しておりまして、奥にゆくにつれて、徴妙この上ないものになってくるのであります。そしてその一番奥の存在が宇宙神のみ心の中心にある直霊(なおび)ということになるので、この直霊が神そのものということになるのであります。
ですから人間心の一番奥深いところは神そのものとなるのです。そしてそうした神そのものの働き場所を神界というのであり、次第に霊界、幽界、肉体界と、その働きのひびき(波動)が遅鈍になってくるのであります。」
第二十一講でも肉体頭脳の思慮分別が人間のレベルを低くしてしまっていると、このように述べられています。
「肉体人間というものは、只単なる先端の現れであって、人そのものではないということなのです。人の生命というものは、肉体身を先端として、奥深くずうーとつながっているものであって、その一番深いところは、宇宙神のみ心の中なのであります。
ですから、肉体身として現われている、一番粗い、波動の現れ、一番速度の遅い渡動の現れだけを自己そのものと思っていますと、その自己だけに想念が集中していますので、その粗い波動、スピードの遅い、遅鈍な在り方の中で、その範囲、その中だけの知識や智慧で思慮分別して、自分の生き方や人の生き方を判断するわけですから、どうせたいしたことができる筈がありません。小さな、こせこせした生き方や考え方しかできないのは理の当然です。それは丁度、世界というものの全体を知らない未開の国の人が、その国のしかも山奥の小さな土地だけの生活より知らないでいて、それだけをすべてとして他を顧みないでいるとしたら、その人の智能程度は非常に低いものであることはあたりまえのことです。」
人間には肉体だけでなく、大きく分けても幽体(界)、霊体(界)、更に神体(界)があるという認識は信じられない人もいるでしょうが、現在の物理学では十一次元の多重次元の存在が認められています。むしろ五井先生がおっしゃっているような世界観、人間観の一部を科学が探求し始めていると考えても良いのではないでしょうか。
この人間存在の真実を「さとり」「直感」で知りえた聖人、賢者にとっては肉体身だけが人間だと思っている人は未開人に見えると、五井先生は上の講義にこう続けていらっしゃいます。
「人というものの全体を知っている真人や聖賢の眼からみますと、人というものが肉体身だけの者だと思っているような人々の在り方をみていると、丁度そうした未開人の生活をみているようなものにうつるのです。真の人の姿というものは、肉体身だけを人とみているような、そうした低い段階のものではなく、自由自在心をもつ生命そのものの存在者なのです。」
よって、第三十四講で、過去の聖人、賢者が肉体身だけが人間であるとするものに、本来の人間の姿を知らしめようとして、「そこで、老子は無為と説き、釈尊は空と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全託を説いていたのであります。 無為を為し、空になり、全託の境地になりますと、肉体頭脳と奥深い大宇宙の根源の心、つまり宇宙神のみ心とが一つにすっきりとながりまして、宇宙神の智慧や能力が、そのまま肉体頭脳の智慧能力となってまいりまして、超越的な力を発揮してくるのです。聖人とか達人とかいう人たちは、皆こうした超越能力をもっていたのであります。」と、大宇宙の根源の心、無限の叡智から、その力を智慧を引き出すための方法である無為、空、全託をお示しになったのだ、と五井先生はおっしゃっています。
このことを第二十一講では更にこのように述べられています。
「古来の聖賢はみな、肉体智を捨てよ、空の心になれ、といい、老子は無為の道を根本の教として説いているのであります。ところが人間は、頭脳で考えないでどうして行動ができようか、ということにひっかかってしまうのです。それは無理もありません。 肉体身の頭脳の他に考えの、湧いてくるところなどありはしないと思い込んでいるからなのです。
しかし 私がいつも申しておりますように人間の体というものは、大きく分けて、肉体身、幽身、霊身、神体というように四つに分れております。それは七つの名称をつけて、七つに分れているといつてもいいし、細かく分ければ数限り無く分れているのであります。ですから、あらゆる体から智慧が湧きいで、あらゆる階層の知識もあるのであります。肉体身は先程から申しておりますように、一番鈍なる体なのであります。そこで肉体頭脳にまつわる知識や想念を、肉体身より徴妙なる体のどこかの頭脳に一致させてしまえば、肉体身の頭脳で考えるより徴妙な考えが湧いてくるのであります。普通インスピレーションというのは、人の肉
身以外のどこかの階層の頭脳波動から肉体頭脳に伝わってきた智慧なのであります。
世界平和の祈りの意味
そして微妙な世界から最も素晴らしい知恵を引き出すための一番の方法をこう教えて下さっています。
「この智慧を一 番奥深いところ、神体より伝わるようにするためには、やはり祈りの中に自分の想念を一度全部投入してしまうことがよいのであります。そしてその智慧も世界人類の完全平和に役立つ智慧であり、そして力であるためには、世界平和の祈りのような、そのものずばりの唱え言が適当なのであります。言は即ち神なりきでありまして、こうした祈り言の中からでてきた智慧であり行為であるものが、無為にして為せというところとぴったり一つのものになってくるのであります。老子の道に至る方法は世界平和の祈りなのであります。」
老子の「無為」とぴったり一つになり、仏教でいえば「空の境地」にいたる方法が世界平和の祈りである、ということですが、同じ第二十一講の前文では、こう述べられています。
「人間の行為というものは、この肉体頭脳智で考えているうちは、どこかに抜けた、宇宙神、大生命のみ心から外れた行為となってしまうことが多いのです。ですから、各自の集団が、自分達の思想行為こそ、社会を善くし、世界を安定させる、と各自が想って、その活動をしているのですが、その各自の行動が、お互いにぶっかり合ってしまって、宇宙神のみ心の根本的な在り方である大調和を乱す争い事になってしまうのであります。そこで老子は声を大にして、無為にして為せ、無為にして治めよ、というのであります。 肉体の頭脳智に頼っている以上は、無為にはなり得ません。無為になるためには一度肉体頭脳智を何処かに無くさなければなりません。私はその方法を世界平和の祈りをもってしなさい、というのです。」
第二十三講でも、肉体頭脳を駆け巡る想念を「世界平和の祈り」に投げ入れることが凡人を容易に聖人にする道である、としてこう述べられています。
「人間の頭脳というものは、肉体だけのものではなくて、肉体とはくらぶべくもない、霊体、神体の頭脳があるのです。こうした高度の頭脳の働きも、肉体頭脳の方が常に休みなく働きつづけていますと、その高度のひびきを伝えることができないのです。いいかえますと、肉体頭脳の波動が、直霊のほうからのひびきとは無関係に想念の働きをつけていますと、肉体の働ける範囲の、狭い浅い判断や行為よりできなくなって、永違の生命、宇宙の大きな流れに沿ってゆけるような働きはできないのです。
肉体頭脳の思慮分別、小智才覚は直霊のひびき、神のみ心の正しい伝達には邪魔になるのです。深い広い働きをもつ直霊のひびきと浅い狭い考えよりできない肉体頭脳の働きとでは到底くらべるすべもありません。それが凡夫と聖人の違いなのです。」(中略)
「肉体人間の頭脳を駈け巡る全想念を無くした時には、神のみ心そのままが、光明燦然とその人の頭脳に入ってきます。神のみ心そのままが入ってくれば、その人の肉体はそのまま神の器であります。業想念の器ではなくなります。そこで私は、肉体頭脳にでてくる想念のすべてを消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に投入してしまい、改めて神のみ心のひびきとしての行為としてしまうことを教えているのであります。一度に空になるのを、消えてゆく姿として、徐々に空の状態と同じように、業波動と光明波動との入れかえをしてしまうのであります。これが凡夫にできる聖人の道なのであります。」
このように、五井先生の世界平和の祈りは普通の人(凡夫、凡人)が特別な修行なし、日常生活のまま、老子の「無為」、釈迦の「空」、イエスの「全託」に至る容易な方法なのである、と繰り返してお示しになっています。
また第八講でもう少し判りやすくこうもおっしゃっています。
一度に到底そのよう(※霊性心に基づいた生き方)になれる筈のものではないのですから、ひとまず、生命そのままのひびきを、本心(※霊性心)と致しまして、本心そのままの生き方をするのには、どうしても、頭脳を去来する想念が邪魔になります。そこで、頭脳を去来する想念のすべてを消えてゆく姿として、宇宙神のみ心の中にその瞬間瞬間に祈り言を通して入れてしまう練習をすることにするのです。
明目の仕事のこと、これからの計画のこと等々、すべて一度は宇宙神のみ心の中に入れきることにして、入れきった後で、今度は行為として現われた場合には、その行為をすればよい、ということにするのです。それを私は、消えてゆく姿で、世界平和の祈り、という祈り言に結びつけて説いているのであります。何や可と想いわずらう想念はすべて消えてゆく姿と思うと、心が静かになって、生命のひびきがすこやかになるのです。そうして遂には老子の説く無為の生き方のできる人間になってくるのであります。(※私の注記補足)
以前のブログ「霊性心開発の方法」でも全託や消えていく姿について少し違う角度から論じていますので、まだお読みでなければ、こちらも一読ください。
世界平和の祈りはエレベーター
先に紹介した第ニ十七講に続けて五井先生はこのようにおっしゃっています。
「これ(※世界平和の祈り)は無為にして為す、という老子の根本思想の世界に、祈り言をもって、昇りきってしまう方法なのであります。現代の人たちには、玄徳の心といっても、無為といっても、空といっても、その心の状態の素晴しさはわかっても、自分自身では、とてもとても達し得ない境地だと、はじめからその境地に昇ろうとする意志がないのです。ですから、あまりそうしたかけ離れた境地になることを、はじめからすすめたとて、とても無理なことなので、私はそうした素晴しい境地を、一応、老子や釈尊やイエスの言葉で示しておいて、そういう境地になれば素晴しいのだ、あなたも人類も共に本心のままの生き方のできるのは、一人でも多くの人が一日も早く、そうした境地になることなのだ、だがしかし、そういう境地には一朝一夕でとてもとてもなれるものではない。だから私が世界平和の祈りという、エレベーターをここに用意しておいたから、ひとまずこのエレベーターにお乗りなさい。あなたの知らぬ間に、高い境地に昇ってしまいますよ。という風に世界平和の祈りをすすめているわけなのです。」
ここでお示しに
っているように「世界平和の祈り」はちょうどエレベーターのようなものです。老子の無為、仏教の空は凡夫、凡人にとって、長い階段を一歩一歩上っていくような大変な修行です。
これに対して、世界平和の祈りは、難しい修行なしに高い境地に上っていく「エレベーターのような易行道」です。
これは私の実感でもあります。確かに世界平和の祈りによって自身の霊性の奥深くへのアクセス、霊性開発が可能になりました。
だから、多くの人にこの世界平和の祈りを行って頂きたいのです。それはこの平和の祈りが現世の様々な悩み、苦しみの根源からの解決法であり、最も根源からの創造性開発法と信ずるからです。
世界平和の祈り
(2018年6月追記 このブログで私は「霊性心開発」をテーマに一連の記事を書きつないできました。
これまでも繰り返し述べたように、霊性心開発とは「宇宙本体と繋がり、そこから本来人間が持っている内なる叡智、エネルギーを実生活に引き出す」ことを意味します。そしてその方法が無為であり、無念無想、空観です。
この無為、無念無想、空観について書いた最初の記事は下の中村天風師のインドでの悟りで、その中で天風師と師匠のカリアッパ先生とのやり取りを紹介しています。
天の声を聴く 中村天風師のインドでの悟り
カリアッパ先生は無念無想を体験した天風師にこう言われました。
「たまには心をやすめてやれ。そこに心をやすませると、いっさいの迷惑が心にかからなくなる。すると、心の本然の力が命のなかで働きだすようになるんだ。わかったか?」
この言葉の意味は
「無念無想になれば、そこに人間が本来持っている内なるエネルギーが泉のごとく湧き出すんだ。日頃は雑念、妄念の類がその出口を塞いでいるから出ないんだ。」
ということです。
中村天風師はこの体験を紹介されて、このように述べられています。
「人間と言うものは厳密な意味からいうと、その本性において、知る知らざるとを問わず宇宙本体と自分の生命が何時も一体化されるように出来ている。宗教的にいえば神、仏の持つ智恵、哲学的に言えば宇宙創造の造物主の智恵も当然、人間の心に一つのつながりを持っているわけなんだ。ちょうどそれはね、電灯と発電所の発電機がつながっているのと同じだ。
さてそう考え付いたら、電灯はスイッチをひねると燈がつくだろう。スイッチをひねらないと燈がつかない。人間もまた同じで、宇宙の本体の造物主、いわゆる人間と神を結びつけるのも、やはり結び付けのスイッチというものがあるわけです。そのスイッチがどこだというと心なんであります。
もっと判りやすく言うと心を特別な状態にすると、造物主と人間の生命がピターッとつながちまう。電灯と発電所がつながるようにね。
それじゃー特別な状態とはどんな状態かという事だが、英語で言うとトランスの状態にする事なんだ。トランスとは無念無想のこと。こういうと「さあそこだ。それが一番難しいんだ」と大なり小なり座禅の真似事をした人ならみな口をそろえていうでしょう。そういう人は無念無想がどういう状態か、ハッキリ理解していないんだ。
ジャーどういう状態かというと一口で言うと、心が命の一切を考えない時が無念無想なんだ。我々の心は、特に煩悩、執着を持っている人の心は、しょっちゅう自分の命に自分の心がくっついて歩いてまわっている。心が命の一切を考えない時、更にわかりやすくいうと、肉体を思わない、また心が心を思わないときが無念無想なんです。
とにかく心が出来るだけ折りあるごとにこの無念無想の状態になればいやでも、応でも人間の生命は、生命の本源である宇宙本体とピタリと結びつくように出来てんだ。さっきの電灯と発電所と同じなんだ。
ところが普通の人間は特に病があったり、運命が悪い人間は、そういうときに一層宇宙本体の無限の力を自分の生命に招き入れないといけないのに、反対にその結びつきを自ら妨げるような愚かな事をやっちまっているんです。
ここのところが大事なところなんだ。心が肉体を考えない、あるいは心が心の動きを思わないとき、心が即座に霊性境地にしぜーんと、入りたくなくとも、入る事になっているんだ。」
ここで天風師が述べられたのが、老子の言う「無為」の生き方ですが、私は「世界平和の祈り」で、天風師がおっしゃっているトランス状態に容易に入り、その先の霊性境地に自然に至ることが出来るということを体感しました。
天風師のおっしゃる人間と神、造物主を結びつけるスイッチは私にとって世界平和の祈りだったのです。
このことを念頭におき、上の記事や下の関連記事をお読み頂ければ幸いです。追記 終わり)
五井先生のご講話
さて、五井先生のご講話が沢山YouTubeに上げられています。その中から今回のブログに関係が深いご講話を2つ紹介させて頂きます。興味を持たれた方は、これらを一度お聴きください。
以下はご自身の教えの概略について語っていらっしゃる10分程度の講話です。
また以下は今回のブログのテーマである無為、空についての38分のご講話です。
今回の記事が読んでくださ
皆さんのお役に立てば幸いです。
関連記事
霊性心開発の方法⑥ 「無念無想の空観」と「祈り」(1)
霊性心開発の方法⑦ 「無念無想の空観」と「祈り」(2)
霊性心開発の方法⑤ 五井昌久先生と中村天風師の教えの要諦 「潜在意識の大掃除」
霊性心開発の方法 ③ エックハルトトールと中村天風師
霊性心開発の方法 ② 「The Power Of Now」エックハルト・トール
霊性心開発の方法 ① 五井先生の易行道
参考記事
世界平和の祈りの行じ方
天風師が説く「5つの心」① 霊性心とは何か
天風師が説く「5つの心」② 霊性心とは何か
「病や不幸とどう向き合えばよいのか」① 中村天風師と五井昌久先生の教え
「病や不幸とどう向き合えばよいのか」② 甲田光雄先生と舩井幸雄先生、そして世界平和の祈り
「病や不幸とどう向き合えばよいのか」③ 病気の原因と対処法
体験談①至高体験と妖怪との遭遇で知ったこと
体験談②守護の神霊の存在を確信した山本印店との出会い
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