3年B組コンプレクッス先生
いつだって考えるのはコンプレクッスのことばかり
前回の続きです。
さてさて、発表会当日。
その日は朝から全く緊張しておらず、他の生徒さんたちの演奏をとても楽しく聴いていたのですが
やはり舞台袖に入り、自分の前の順番の人になったら急に緊張してドキドキしてきて
深呼吸したり、大丈夫大丈夫と心の中で言ってみたりして、なんとか気持ちを落ち着かせていました。
そしたらふと自分の頭の中に、(私はピアノが弾けなくても価値がある)って言葉が降りてきたんです。
おいおい本番前に何思ってるんだ私?と自分でもビックリしたんですが
その言葉が出てきた途端、なぜかすごく心が軽くなって、気持ちが落ち着いていったんですよ。
自分では全く意識していなかったのですが、私どうやら昔から
ピアノが弾けない自分には価値がないって思っちゃってたみたいなんですよね。
で、急に話飛ぶんですが、実は発表会本番前の鬱々した1週間を過ごしている時、もう一つ自分の中で心を占めてる悩み事がありました。
それは幼稚園のママさん同士の関わりについてなんですが
私、綺麗でオシャレで女って感じのママさんと、ちゃんと目を合わせて普通に話せなくて
いや、綺麗でオシャレまでは大丈夫なんですけど、私のイメージする女な部分が強いと感じてしまうと勝手に気後れして、ちゃんと目を合わせて話せなくなるんです。
私がそんな態度だから相手だって嫌な気持ちになりますよね。
そうしているうちに、前までは普通に挨拶していたのが、なんとなくその方達とはお互い目を合わさず挨拶もしなくなり
まあ気にしなければいいんですが、やっぱり幼稚園にお迎えに行って、園庭でその方がいるとつい逃げ腰になる自分が情けないなと思い
自分なりに、最近買った藤本さきこさんの本を参考にその感情と向き合ってみたんです。
そしたらね、私は、綺麗でオシャレで女って感じの人に、必ず見下されて嫌われるという設定が自分の中にあることに気づいたんですよ。
実はこの設定に気づいたのが発表会の日の朝で
これ変えなきゃなと、私は綺麗でオシャレで女って感じのママさんとも目を合わせて自然に挨拶できるし、気軽にお話しすることができると
自分の今までの設定と、変更後をノートに書いて発表会の会場に向かったんです。
そして本番直前、正直その時にはもうママさん達との関わりなんて考えてる場合じゃなく
しっかり弾かなきゃと集中しようとしてる時に「私はピアノが弾けなくても価値がある」て言葉が自分の中に降ってきて
そしたら突然、自分の中で色々なことが全て繋がったんです。
私ね、ちょっと言うの恥ずかしいんですけど
私はデブだし美人じゃないしオシャレじゃないし頭も良くない、だけどピアノは弾けるんだからすごいでしょって思ってたんです。
それはつまり、ピアノが弾けない私は、ただデブでブスでオシャレのセンスもない、頭も良くない価値のない人くらいに思ってたということでもあり
私は、見た目イマイチかもしれないけど、ピアノ弾けるんだからねっていう、間違ったプライドを保つ方法としてピアノを位置づけしてたんですよ。
だけど、私はずっと、自分がそんな風に思っていることに気付いてなくて
ピアノが弾けなくても自分には価値があるって言葉が降りてきた時、初めて自覚したんです。
そして自覚すると同時に、昔はそうだったかもしれないけど今は違うよねと強く思う自分もいて
じゃあ今の自分にとってピアノとは何なのかと考えた時
私にとってピアノは、人との出会いだったり、本番前の緊張感だったり、練習の大変さだったり、弾けた時の喜びだったり
すべての人が経験する魂が喜ぶ感覚を、私の場合はピアノを通してより深く感じ、豊かにしてもらっていたんだなと気がついて
つまり私にとってピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものであって
自分のコンプレクッスを補うためのものではなかったんです。
なんかね、一見、ピアノを弾くということと、幼稚園ママさんとの関わり問題は全く関係ないように見えて、自分の中では繋がっていたんですよ。
だからこそ、ピアノが弾けなくても私には価値がある。
ピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものだと気付いた時
私本当にすっきりして、色々なことがとても幸せで嬉しくてたまらなくなったんですよね。
で、本番前にこれだけのことを考えて、肝心の本番どうだったかと言いますと、今回も昔のように緊張しずぎて指が回らなくなるということはなく
ちょっとあれ?というところもありましたが、思い切りよく弾けました。
実は弾き終わって、他の方の演奏を聴くために会場に戻ったら
自分が弾いた直後は、今の私が弾ける精一杯はできたと満足していたはずなのに
他の方の演奏聴いてたら、またいつもの、人と自分を比べて自分を下げる癖が出てきて
私の音楽は他の人に比べて深みがないとか思い始めてしまったのですが
最後に先生や友人が嬉しい感想を言ってくれて
全く知らない奥さんに、あなた月光弾いた方?素晴らしかったわ尊敬しますと言われ
ああ、改善点はあるかもしれないけど、今の自分の精一杯の演奏はできたんだから良かったんだよと、その方達の言葉を素直に受け止めることができました。
そして、きっと今の自分にとってピアノは、誰かに褒めてもらいたい、すごいと言われたいとゆう目的でやるものではなく(もちろんそれもとても嬉しいですが)
何よりも自分を喜ばせるためのもので、言葉のプレゼントは、後から付いてくるもの、副産物なんだなと気づくこともできました。
そんなわけで、なんだかまとまりなくものすごい長文になってしまいましたが
今回発表会や幼稚園ママさんとの関わりを通して、自分はピアノが弾けなくても価値があると心から思えたこと
ピアノは自分の魂を喜ばせ豊かにしてくれるものだと気づけたことに、心から感謝です。
そしてね、私にとって小説を書くことも実はピアノと一緒で
どちらも今全くお金を稼げてるわけではないけど
やっぱり小説を書くこと、ピアノを弾くことは私の人生を豊かにしてれるし
弾くこと、書くことで、自分の魂が喜ぶんですよね。
正直、娘が幼稚園に行くようにはなったものの、結構なんだかんだイベントがあり
家�
�や子育てしながらピアノ練習したり小説書いたりすることはかなり大変で
実は最近、本気で作家目指したいならピアノはちょっとお休みして、小説書くことだけに集中した方がいいんじゃないかと思うこともあったんですが
やっぱりどちらも私には欠かせないものなので、色々自分の時間の過ごし方を見直して、両方に心を注いで頑張っていくことにしました。
ではでは!
コンプレクッス品質は、畑から。
コンプレクッス ほしいものが、ほしいわ。
今日のpart1
日々の呟きや動画はインスタストーリーにアップしています。
Twitterは合間に呟きます。
私の 、 、 、スタジオCのです。
来年でカーヴィー10周年を迎えるにあたり
インスタストーリーにこれまでの雑誌などに
掲載された大切なメッセージなどアップし始めました
今も昔も伝えることは一貫していますが
繰り返し伝えて残していきたいです。
今日は何度かここでもwakaちゃんを紹介していますがその後の経過もご報告させていただきます。
1度載せたきりと言うより継続してる方々の
そのまたアフターを伝えることは
本当に大切なことだと思っています。
wakaちゃんは長年ジム通い。
でも自分の理想の身体にはなれず悶々とする時も。
そんなwakaちゃんは今は
みんながモデルさんみたい!と。
元々背も高いし
改めて3枚目の写真を見て
こんなでした?と思う方もいると思いますが
脚の形もお腹も二の腕も動きも
本来のwakaちゃんが活かされて
いなかったという言葉が
あてはまるかもしれません。
食べたり飲んだりするのが
大好きなwakaちゃん。
今も好きなようにしていますが
大きなリバウンドなし。
むしろ益々綺麗になり自信に溢れています。
1番コンプレクッスだった
二の腕も今は大好きなパーツに変わりました。
この夏もノースリーブが多い
お洒落を楽しんでる様子が
本当に嬉しいです
wakaちゃんが
「昨日、久しぶりに先輩に
会ったんですけど
そんなにスタイル良かったっけ?って
ビックリされました。
20代の痩せてた時しか知らない人で
私が太った姿は見てないんですけど、
メリハリがあるのに
華奢で理想的な身体になってるって
すごく羨ましがられて、
恥ずかしかったけど
すごく嬉しかったです。
若い時より、ちゃんと
メリハリがあるから
すごくいい!って。
先生のトレのおかげですって
熱弁したら帰りに
健康カーヴィー買ったって
報告がありました」って。
ありがたいです
そんなwakaちゃんを見てきて
1番嬉しいのは苦手なことにも
チャレンジして少しずつ
克服していく姿です。
自分の可動域を守りながら
変わっていく姿です。
できてないことも笑い飛ばしながら向き合い
出来ていることは
どんどん自分を加速させていく姿。
2枚目の写真は最近のレッスン中の姿
3枚目の写真はスタジオCが始まった頃の写真。
動きが変われば自分のあちらこちらが
変わっていくはず。
そんな証明です。
私にとっての究極のビフォーアフターは
1枚目より2枚目3枚目が大切なんです。
いい意味の自信を持っていく。
心も身体と一緒に変わる。
#studioc
#樫木裕実
#樫木メソッド
#カーヴィーメソッド
#ボディメイク
#将来を見据えた身体作り
#消耗しない身体作り
#究極のビフォーアフターとは
コンプレクッスは保護されている
前回の続きです。
さてさて、発表会当日。
その日は朝から全く緊張しておらず、他の生徒さんたちの演奏をとても楽しく聴いていたのですが
やはり舞台袖に入り、自分の前の順番の人になったら急に緊張してドキドキしてきて
深呼吸したり、大丈夫大丈夫と心の中で言ってみたりして、なんとか気持ちを落ち着かせていました。
そしたらふと自分の頭の中に、(私はピアノが弾けなくても価値がある)って言葉が降りてきたんです。
おいおい本番前に何思ってるんだ私?と自分でもビックリしたんですが
その言葉が出てきた途端、なぜかすごく心が軽くなって、気持ちが落ち着いていったんですよ。
自分では全く意識していなかったのですが、私どうやら昔から
ピアノが弾けない自分には価値がないって思っちゃってたみたいなんですよね。
で、急に話飛ぶんですが、実は発表会本番前の鬱々した1週間を過ごしている時、もう一つ自分の中で心を占めてる悩み事がありました。
それは幼稚園のママさん同士の関わりについてなんですが
私、綺麗でオシャレで女って感じのママさんと、ちゃんと目を合わせて普通に話せなくて
いや、綺麗でオシャレまでは大丈夫なんですけど、私のイメージする女な部分が強いと感じてしまうと勝手に気後れして、ちゃんと目を合わせて話せなくなるんです。
私がそんな態度だから相手だって嫌な気持ちになりますよね。
そうしているうちに、前までは普通に挨拶していたのが、なんとなくその方達とはお互い目を合わさず挨拶もしなくなり
まあ気にしなければいいんですが、やっぱり幼稚園にお迎えに行って、園庭でその方がいるとつい逃げ腰になる自分が情けないなと思い
自分なりに、最近買った藤本さきこさんの本を参考にその感情と向き合ってみたんです。
そしたらね、私は、綺麗でオシャレで女って感じの人に、必ず見下されて嫌われるという設定が自分の中にあることに気づいたんですよ。
実はこの設定に気づいたのが発表会の日の朝で
これ変えなきゃなと、私は綺麗でオシャレで女って感じのママさんとも目を合わせて自然に挨拶できるし、気軽にお話しすることができると
自分の今までの設定と、変更後をノートに書いて発表会の会場に向かったんです。
そして本番直前、正直その時にはもうママさん達との関わりなんて考えてる場合じゃなく
しっかり弾かなきゃと集中しようとしてる時に「私はピアノが弾けなくても価値がある」て言葉が自分の中に降ってきて
そしたら突然、自分の中で色々なことが全て繋がったんです。
私ね、ちょっと言うの恥ずかしいんですけど
私はデブだし美人じゃないしオシャレじゃないし頭も良くない、だけどピアノは弾けるんだからすごいでしょって思ってたんです。
それはつまり、ピアノが弾けない私は、ただデブでブスでオシャレのセンスもない、頭も良くない価値のない人くらいに思ってたということでもあり
私は、見た目イマイチかもしれないけど、ピアノ弾けるんだからねっていう、間違ったプライドを保つ方法としてピアノを位置づけしてたんですよ。
だけど、私はずっと、自分がそんな風に思っていることに気付いてなくて
ピアノが弾けなくても自分には価値があるって言葉が降りてきた時、初めて自覚したんです。
そして自覚すると同時に、昔はそうだったかもしれないけど今は違うよねと強く思う自分もいて
じゃあ今の自分にとってピアノとは何なのかと考えた時
私にとってピアノは、人との出会いだったり、本番前の緊張感だったり、練習の大変さだったり、弾けた時の喜びだったり
すべての人が経験する魂が喜ぶ感覚を、私の場合はピアノを通してより深く感じ、豊かにしてもらっていたんだなと気がついて
つまり私にとってピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものであって
自分のコンプレクッスを補うためのものではなかったんです。
なんかね、一見、ピアノを弾くということと、幼稚園ママさんとの関わり問題は全く関係ないように見えて、自分の中では繋がっていたんですよ。
だからこそ、ピアノが弾けなくても私には価値がある。
ピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものだと気付いた時
私本当にすっきりして、色々なことがとても幸せで嬉しくてたまらなくなったんですよね。
で、本番前にこれだけのことを考えて、肝心の本番どうだったかと言いますと、今回も昔のように緊張しずぎて指が回らなくなるということはなく
ちょっとあれ?というところもありましたが、思い切りよく弾けました。
実は弾き終わって、他の方の演奏を聴くために会場に戻ったら
自分が弾いた直後は、今の私が弾ける精一杯はできたと満足していたはずなのに
他の方の演奏聴いてたら、またいつもの、人と自分を比べて自分を下げる癖が出てきて
私の音楽は他の人に比べて深みがないとか思い始めてしまったのですが
最後に先生や友人が嬉しい感想を言ってくれて
全く知らない奥さんに、あなた月光弾いた方?素晴らしかったわ尊敬しますと言われ
ああ、改善点はあるかもしれないけど、今の自分の精一杯の演奏はできたんだから良かったんだよと、その方達の言葉を素直に受け止めることができました。
そして、きっと今の自分にとってピアノは、誰かに褒めてもらいたい、すごいと言われたいとゆう目的でやるものではなく(もちろんそれもとても嬉しいですが)
何よりも自分を喜ばせるためのもので、言葉のプレゼントは、後から付いてくるもの、副産物なんだなと気づくこともできました。
そんなわけで、なんだかまとまりなくものすごい長文になってしまいましたが
今回発表会や幼稚園ママさんとの関わりを通して、自分はピアノが弾けなくても価値があると心から思えたこと
ピアノは自分の魂を喜ばせ豊かにしてくれるものだと気づけたことに、心から感謝です。
そしてね、私にとって小説を書くことも実はピアノと一緒で
どちらも今全くお金を稼げてるわけではないけど
やっぱり小説を書くこと、ピアノを弾くことは私の人生を豊かにしてれるし
弾くこと、書くことで、自分の魂が喜ぶんですよね。
正直、娘が幼稚園に行くようにはなったものの、結構なんだかんだイベントがあり
家�
�や子育てしながらピアノ練習したり小説書いたりすることはかなり大変で
実は最近、本気で作家目指したいならピアノはちょっとお休みして、小説書くことだけに集中した方がいいんじゃないかと思うこともあったんですが
やっぱりどちらも私には欠かせないものなので、色々自分の時間の過ごし方を見直して、両方に心を注いで頑張っていくことにしました。
ではでは!