至高にまた脆弱性が発見されました
「地平線の様子は、独特なものでとても美しい。明るく光る地球の表面から、暗黒の空への境目は比べようもないほど美しい。暗黒の空間には星のまたたきが見える。この境目は、とても薄いもので地球の球体を囲む膜の帯のようだった。地球の色は、優しく光る淡い水色で、暗黒空間へとつづく境目は、とてもなめらかな曲線で美しい。言葉では伝えにくい。地球の影からでたとき、地平線はまた違ったようにみえた。地平線には、明るくオレンジ色にひかる帯があり、その色は、再び、淡い水色に、そして濃厚な黒色に変わった」 ガガーリン
人はなぜ境目に魅力を感じるのか?
インフィニティプールってご存知ですか?プールの水面を水平線と並行にすることで、まるで水平線に溶け込むかのようにデザインされたプールの事です。
他にもビルの屋上にあり空の一部になっているように溶け込んでいるプールもあります。
最近のインスタブームもありこのようなプールでの写真は人気があります。たしかに見ていても何だかワクワクしますよね!なぜ、私達は普通に水平線だったり、空だったりではなく、その境目に魅力を感じるのでしょう?
これって独断なのですが「境目」に人は魅力を感じるのではないでしょうか?
自然の境目だけではありません。マツコ・デラックスさんやikkoさんや、はるな愛さん等のように男性と女性の境目の人にも私達は魅力を感じる事が多いです。
これはあくまでも仮設ですが境目は「断絶はせずに繋がっている」ところに人は魅力を感じるのではないでしょうか?
ダンテ「神曲」とルシファー
昔の大学生や知識人は「常識」として読んでいたと言われるダンテの「神曲」という作品があります。
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩です。
この作品は、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられます。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴です。
あらすじですが、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回ります。ウェルギリウスは、地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至ります。そして、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどり着きます。ダンテは、煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、煉獄の山頂でウェルギリウスと別れることになります。そして、ダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達するというものです。(参考:wikipedia)
その神曲にインスパイアされたボッティチェッリの「地獄の見取り図」という有名な絵があります。その絵の最下部には堕天使ルシファーがいるとされています。ルシファーは元々は天使だったのですが神と対立し天国を追い出され地獄に追いやられます。そしてその後にルシファーはサタン(悪魔)になります。
ルシファーは悪魔はサタンともルシファーとも呼ばれる単一の人格です。ですから今でもルシファーに憧れる人が多いです。これも境目に生きるという事が魅力的なのでしょう。(別に私はルシファーの崇拝者ではありません(汗))
日常と非現実の境目の岬
私が日常と非現実の境目を感じるのはやはり大自然です。沖縄は海がとても綺麗ですので岬には日常と非現実の堺目を感じます。陸側が現実そして海側が非現実です。
初めに採り上げたインフィニティプールと似た感覚です。プールに入っている時は現実に足がついていますが、目前は非現実空間。そこには行けないし、でも行きたくなる不思議な感覚。
・万座毛
写真引用元:
万座毛は沖縄県の中部の恩納村の西海岸にあります。沖縄の岬の代表といえば万座毛ではないでしょうか?その独特な名前とともに風光明媚な風景が有名です。
万座毛とは:「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名の由来と言われています。
脱線しますが、昔の東宝映画の「ゴジラ対メカゴジラ」で沖縄の守護神というキングシーサーが眠っていたのも万座毛です(笑)
駐車場を抜け芝の部分に足を踏み入れたと同時に眼前に広がる海を見た時の感動は何度行っても変わらないです!動画をご覧下さい。
荒らされるとイヤなのでこっそり書いておきますが、駐車場に向かう道の横道があるのですがそれを進むと万座毛を違う角度から見られる秘密の場所がありますので、何回も万座毛に行っている方はぜひ一度お試し下さい。
・真栄田岬
写真引用元:
真栄田岬は沖縄県の中部の恩納村の西海岸にあります。ダイビングをする方にとっては全国的に有名な場所ですね。もちろん真栄田岬自体も魅力があるのですがすぐ近くに「青の洞
」があるのでそこへのアクセスポイントとしても有名なのです。
写真引用:
真栄田岬から青の洞窟へ行くまでのすべてが動画で体験できます。ダイビングをする人もダイビングをしない人も是非、ご覧下さい♪
・残波岬
写真引用元:
個人的にとても好きなのが残波岬です。残波岬は恩納村のお隣の読谷村にあります。
残波岬の特徴はその荒々しい断崖絶壁です。延々と高さのある断崖絶壁の様子は感動的です。リーフが多く比較的穏やかな波が多い沖縄にあって、あの波ふぶきは勇壮です。
琉球舞踊と岬
また残波岬は琉球舞踊の「上り口説(ぬぶいくどぅち)」や「下り口説(くだいくどぅち)」にも登場します。これは首里を出発して那覇から船に乗り、奄美諸島、を通り過ぎて薩摩へと旅をする様子を歌ったものです。
『上り口説(のぶいくどぅち)』
旅ぬ出で立ち観音堂 千手観音伏し拝で 黄金酌とて立ち別る
袖に降る露押し払ひ 大道松原歩みゆく 行けば八幡 崇元寺
美栄地高橋うち渡て 袖を連ねて諸人の 行くも帰るも中之橋
沖の側まで親子兄弟 連れて別ゆる旅衣 袖と袖とに露涙
船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
燃ゆる煙や硫黄が島 佐多の岬に走い並で(エーイ)
あれに見ゆるは御開聞 富士に見まがふ桜島
船から見える残波岬は自分の場所を知る当時はアイコンだったのでしょう。そういえば現在、残波岬には大きな灯台があります!今も昔も残波岬は存在感がありますね。
そんな現在の残波岬の様子をドローンによる空中からの映像でご覧下さい。
あなたにとっての岬は?
岬は陸側は現実の世界。そして海側は非現実の世界です。鳥やドローンでもなければ非現実の世界に行く事はありません。しかしながらその境目に私達は実際に立つ事ができます。その時にどれだけ非現実な部分を現実化していくのが『夢』だと思います。
あなたの周りの境目に『夢』は見えますか?
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一度だってないかもしれない、至高の持てる力をすべて引き出す瞬間なんて
ポテチにチョコ
至高をマスターしたい人が読むべきエントリー30選
11月末の週末、横浜そごうで開始早々の
「薄井憲二バレエ・コレクション特別展バレエ―究極の美を求めて―」展に行きました。
(12月25日まで)
私の人生初のボリショイバレエ体験は、祖母に連れられて行った
ナタリア・ベスメルトノワの公演。
優雅な姿には忘れがたいものがありますが、
残念ながらベスメルトノワ関連の展示は見つかりませんでした。
映画で活躍されたバリシニコフの展示はありましたが。
また、ピカソが描いたバレエ・リュスのプログラムや
マティス、シャガール、フジタ、ダリ、コクトーらが描いた関連デッサンなどが
一角を占めていて、兼ねてから抱いていた思いを確認できた気がします。
それは、バレエ、とくにバレエ・リュス(パリで活動したロシアバレエ団)というのもが
単に舞踊好きの人たちの間にとどまっていただけでなく、
当時(20世紀前半)美術界全体に大きな影響を与えた、という点です。
4年前に国立新美術館で「ロシア・バレエ 魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」が
開催された時にもそれは感じたのですが、その影響の範囲は
普通に考えるバレエの影響力をはるかに上回り、かなり広かったようです。
そしてそれは文学の世界もしかり。
今読んでいるプルーストの「A la recherche du temps perdu(失われた時を求めて)」にも
バレエ・リュスやバレエ・リュスの舞台演出を担当した
レオン・バクストの名前がさりげなく挿入されていました。
(文末に内容を記します。バクストはプルーストと同時代です。)
これは私見ですが、バレエ・リュスの至高の芸術性ゆえの影響力と
いうのは言うまでもありませんが、
当時貴婦人を中心としたサロンで、文学・美術・音楽の専門家たちが
垣根なく交流しあっていた、そうした素地も寄与していたのでは、と思うのです。
以前読んだパリのサロンの実話には、画家の家に集まった文人たちが議論をかわし、
ふらりと寄ったドゥビュッシーが自作の曲を何気なくピアノで弾いて帰っていく、
といった場面が登場します。
ジャンルを超えてお互い刺激をしあって、それが個々の作品に反映される、
そんな豊かな時代の空気がバレエ・リュスを取り巻いていた、
そう見ることもできるのではないでしょうか。
==== プルーストの文中に登場するバクストとバレエ・リュス ====
麗しい少女たちの色彩の違いが、それぞれの姿の面の見え方まで変えてしまう、、、
というくだりで、
「・・(それは)バレエ・リュスで使う小道具にも言え、昼間に見たら丸く切り抜いただけの紙切れにすぎないものを、かのバクストの天賦の才が、舞台装置を淡い紅色に照らし出すか、月明かりのように照らしだすかによって、それが宮殿正面玄関に堅くはめ込まれたトルコ石になったり、庭の真ん中にやわらかく咲くベンガル・ローズになったりする。」(岩波・吉川一義訳)
(原文)
「le génie d’un Bakst, selon l’éclairage incarnadin ou lunaire où il plonge le décor, fait s’y incruster durement comme une turquoise à la façade d’un palais, ou s’y épanouir avec mollesse, rose de bengale au milieu d’un jardin. Ainsi en prenant connaissance des visages, nous les mesurons bien, mais en peintres, non en arpenteurs.」
「薄井憲二バレエ・コレクション特別展バレエ―究極の美を求めて―」展
写真撮影コーナーにて。
バレエバーが置かれ、会場の雰囲気を味わいながら、アン・ドゥ・トロワ・・・
ができるスポット
撮影用にほんの気持ちだけ、、といったかたちで用意されたコスチューム。