レバー 人とともに~With Human~
本場でも通じるレバーテクニック
俺は基本的に千葉運輸区の人間なので基本、
快速の場合、東京駅から先は運転しない。
しかし時折。
運転士の体調不良や人員不足で始点の千葉駅から終点の久里浜駅まで運転することがある。
正直80km近くある千葉ー久里浜間で集中力を切らさずクッション性の低い椅子に座りレバーを握るのはかなりしんどい。
今日はそんな運転が朝からあった。
俺は鞄を手に事務所へと向かう。
ここは大船運輸区の管轄でめったに俺が立ち入ることは無い。
冷房の効いた8月の午前10:00の事務所は人が少なかった。
俺は革張りのソファに座り、遠慮なしに大欠伸をした。
すると。
「なんでここにいるの?」と声がした。
俺の近くにある事務机備え付けの回転式になっている椅子がこちらに向く。
「あっ、よね」
「あんたここにいちゃいけない人間やで。」
「急遽、久里浜まで運転することになったんだ」
ため息を混じらせながら言う。
「そりゃおつかれさん」
「ところでなにしてんの」
「13:30の快速 成田空港行まで休憩。」
手元にあるボルボックスのキーホルダーをちらつかせる。
「なんだそれ。」
「ボルボックスや」
「知らん、そんなもん」
「ボルボちゃんかわいいやん」
「可愛いことあるか気持ち悪い」
「どうやらあんたとは永遠に分かり合えんみたいやな」
「分かり合えなくて結構」
「ところでこれいる?」
よねさんが缶コーヒーを投げてよこす。
「危なっ」
「ナイスキャッチ」
「これ、どうした?」
「もらった。けどコーヒーは要らん」
「ふーん。でも温いなぁこれ」
「もらったの朝7時だからそれ」
プルタブを空けるとチープな珈琲の香りが室内に漂う。
口をつけ喉に通る黒い液体は殆ど常温に近い温度だった気がする。
「でこの後は。」
よねさんが訊く。
俺は手帳を開いて確認する。
「13:30の成田空港行。なんだよねさんと同じか」
「なんだとはなんだ」
よねさんは声高に言う。
「俺は千葉駅までだけどよねさんは」
「うちは東京駅までや。」
「てことは東京駅までは俺が補助にいて東京駅からは俺一人か。」
「そういうことや」
「そういや、よねさんの運転してることみたことねーや」
「あんたのもない」
「互いにないか。そりゃそうだ」
「ま、東京駅までよろしく。」
よねさんは微かに微笑む。
久里浜駅のホームは思ったよりうらぶれている。
ターミナル駅は規模が大きいという固定概念が
あったためこの小ささには驚いた。
「出発」
俺は運転席の隣にある段差のスペースに立ち彼方に見える線路を指さす。
ガチャガチャとレバーの動く音とベルが鳴る。
よねさんは白い手袋をつけ、レバーを握り、カーブが掛かった線路を睨みつけていた。
「目付き怖っ。」
「うるさい。」
よねさんの運転は実に安定したもので定刻通り
緩やかに東京駅に到着した。
「ま、あとはよろしく。」
手袋を丁寧に畳んでポケットに入れると運転席を出た。
「ああ。」
俺は椅子に座りながら手袋をはめる。
椅子は先程までのよねさんの温もりが残っていた。
そこに「よろしくお願いします。」
と声がした。
俺は扉の方をむく。
「あれ 平手?」
「あ。よろしくお願いします〜」
語尾に音符がついたような口調で平手は言った。
「平手もいるのか。」
「はい。なにか?」
「いや。」
誰かが東京駅から乗るとは書いてあったが名前までは確認していなかった。
「出発進行」
真っ直ぐ肘を伸ばして平手は言う。
東京駅を定刻通りに発車した。
新小岩駅を通り過ぎた後でふいに無線が入った。
「この先錦糸町駅で人身事故のため手前で停車。」
とのことだった。
「錦糸町でグモったからしばらく停車だ。」
錦糸町駅の手前で俺はレバーを後ろに倒す。
「どれくらい時間かかりますかね」
平手が尋ねる。
「さぁ、1時間か2時間か。どうかしたのか。」
「いや千葉駅から私、各停の銚子行の運転なんですけど、」
「これが遅れるなら向こうも…でもどうだろうな。担当がどうにかするとは思うが。いちおう連絡するか。」
俺は業務用の携帯を取り出し千葉運輸区の事務に連絡する。
「どうですか?」
電話が終わり平手が俺の顔をのぞき込む。
「銚子行は別の運転士がやるそうだ。で、お前は千葉駅で俺と交代して成田空港駅まで運転だ。」
「私がですか。でも本来は」
「お前の銚子行を代わりに
運転するのは本来この列車の
千葉から成田空港を運転するはず
だった運転士だ。
つまりその運転士と入れ替わりだ」
「そうなんですね。」
平手は唇を噛む。
「なんか、いままで各停ばかりだったので」
平手はつぶやく。
列車は尚も停車し続ける。
「まぁ、平手なら大丈夫だろ。」
「ほんで、本来俺は今日千葉駅交代で業務は終わりだが、お前と交代で補助に入る。」
「えっ、そーなんですか。」
平手は目を剥く。
その小動物感漂う顔に俺は思わず笑ってしまう。
「なんですかー」
「おっと運転再開だ。」
無線が入る。
列車は1時間遅れで錦糸町駅に到着し、そのまま1時間遅れで千葉駅に到着した。
「交代。頑張れよ。」
平手の肩を叩く。
「はい。」
帽子を脱ぐと平手は運転席に乗り込む。
「出発」
俺が言うと平手はそれを裏声で反復し、レバーを丁寧に前に倒した。
「遅れてるがスピードはあげすぎるな。んで焦るな。」
平手は涼しい顔で頷く。
どうやら本番に強い類らしい。
平手はこのまま終点の成田空港まで比較的涼しい顔で運転していた。
俺は先程までと顔つきと比べ驚いていた。
「なかなかよかった」
「ありがとうございます」
交代して地下ホームを歩きながら俺は言う。
「平手このあとは」
「このあとは成田空港からの各停に乗って千葉までです」
「そうか。ま、お疲れ様。」
平手はこのまま隣のホームの各停に交代で運転するのでここで別れた。
「お疲れ様です」
俺は平手の裏返った語尾を聞きながらエスカレーターのステップを踏んだ。
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手を…離せ!
そうはいかん!
という、スネークとカズのやりとりを思い出したw