まさ、俺を返せ
翔様の母親。
つまり奥様はこの家にこられるまで、様々な場所でピアノを弾き、ピアノを教え、その上調律までされるスペシャリスト。
奥様とピアノは常に隣同士にあった。
翔様を出産されてからは母親としてはもちろん、ピアノの教師としても翔様と接された。
お二人が日々楽しそうにピアノを弾いている姿は今でも鮮明に思い出される。
この親子はずっとこうして、互いに信頼を寄せ合いながら、それは永遠に続くのだと疑いもしていなかった。
それがグラグラと崩れ始めたのは、翔様が高校に進学されてすぐの頃。
急に奥様は体調を崩され、なし崩し的に容態を悪くされた。
そんな中でも、翔様が無事音大へと進まれホッと安堵したのも束の間。
「相葉さん」
「あ…二宮さん」
「どうしたんすか。今日」
とあるコンクール会場のステージの袖。
翔様のピアノの音を聴いた大野智の付き人は、ひとつも表情を変えずに真っ直ぐ翔様を見ながら私にそう言った。
「奥様が…先日逝去されました」
「…あぁ…」
二宮さんはそう小さく息を吐いて、それは心配っすねと呟いた。
他からそう言われると、今の今まで、もしかしたら翔様なら大丈夫かもしれない。きっと彼なら奥様の死も強い力で乗り越えられるんじゃないか。などと考えていた自分の浅はかな考えに足元が揺らいだ。
奥様が亡くなったその日も、翔様は変わらずピアノと向き合っていらっしゃったから。
私はそんな翔様の後ろ姿をずっと見守っていたのだ。
だから私は。
翔様はピアノさえあればどんな悲しく、辛いことでも乗り越えていけるんじゃないかなんて。
そんなわけがないことぐらい分かっていたのに、何故そう思ってしまったのか。
彼だって私達と何も変わらない普通の青年だ。
そのことを頭の片隅に追いやり、この現実から目を背けようとしてしまっていた。私としたことが。
使用人としてあるまじきこと。
奥様からも”くれぐれも翔のことを頼みます”そう、仰せつかっていたのに。
急に胸がザワザワとし始めてステージに視線を戻した。そんな中でも凛とした姿勢で演奏される翔様の姿をただただ見守るしか出来なかった。
思っていた以上にその日の結果は散々で、それから益々翔様は心を塞ぐこととなってしまった。
よく考えてみれば、そのあたりからかもしれない。
翔様が闇雲に調律師を雇い、そして切り捨てて行く場面を見るようになったのは。
繰り返す度に翔様の心が荒んでいくような気がして胸が傷んだ。
そして、そのうち。
きっとこの方はぶつける先のない蟠りをこうして晴らすことで平静を保っていらっしゃるのだと思うようになった。
この先もずっと。
翔様の心の中から、その感情が無くなるまで。
調律師切りは続くのだと。
私はそう思っていた。
まさ最強伝説
もはや博愛主義ではまさを説明しきれない
私のPMDD(月経前不快気分障害)の症状が
出はじめたのは2006年ごろでした。
当時の私は歯科衛生士としてキャリアを積んでいたころでしたが、同時に非常にストレスフルな毎日でした。
でも書きましたが、
PMDDは月経周期の女性ホルモン値に伴うセロトニン量の変化、自律神経の活動状態、エストロゲン受容体の変異、通常ホルモン値に対する異常反応など、様々な因果関係が研究報告されています。
ただ、ここで前置きしておきたいのが、
不摂生、暴飲暴食、喫煙、飲酒、
運動不足、栄養不足などの生活習慣が
症状を悪化させるのは間違いありません。
そしてPMDDの症状がひどかったころの私も
例外ではありませんでした。
感情的な症状が出だしたのを覚えているのが、
ちょうど姉が第1子を身ごもったころからでした。当時の私は両親と同居していましたが、父とは長く確執がありました。
このころから、些細なことにイライラする、ちょっとした相手の言い方に過剰反応して怒るなどの
精神症状が顕著に出はじめていました。
小さなことがきっかけで過去までさかのぼり、
あの時はこうだった、ああだった、
こうしてくれなかったから!
もっとこうしてほしかったのに!
と人を責め、
自分でもコントロールが利かなくなるくらいに
相手のことが憎くてしょうがなくなり、
爆発しそうな感情の発散として声を荒げて
床を蹴り、壁を叩き、歯を食いしばり、
頭をかきむしり、物を投げる、家具を投げる、
家電を壊す、雑誌を破るなどの
破壊行為にまで至りました。
そしてこういった行為は身近な人に向けられる
というのも特徴です。
一番理解してほしい、味方でいてほしい
家族や親しい人にこの怒りの矛先が向き、
家族関係が破たんしていくというのも特徴です。
唯一甘えられる存在、自分をさらけ出せる存在、
それはまた、愛する存在、大切な存在なのです。
そんな家族に怒りや暴言を抑えられなくなる
というのも特徴です。
さっきまで穏やかに一緒に食事をしていたのに、ちょっとしたことがきっかけで怒りに火をつけてしまい、表情は怒りに満ち、引きつり、まるで別人になるのです。
自分の中に怪物が入り、
自分が自分でなくなる感覚
に恐怖を覚え、
愛する家族や大切にしたい人に暴言を吐き、怒りしか込み上げてこない自分に落胆し、その家族や大切な人たちの悲しい顔や自分を軽蔑するようなまなざしを見て、
今度は悲しみしか込み上げて来なくなり、やってしまったこと、言ってしまったこと、壊してしまったものを思い出し、エネルギー消耗し、疲れ切って涙がとめどなく流れるのです。
一見、我を失ったかのように見えますし、
錯乱状態ではあるのですが、
言ったことや、やったことを本人は覚えていることが特徴です。これがまたつらいのです、覚えているということが。
激高しながら相手を責めたり、
暴言を吐いているこの口を、
何度も何度もふさぎました。
そしていつも、
「私じゃない、これは私じゃない!」
と、家族に言い訳がましく叫んでいたのを
思い出します。
それでも口を突いて出てくるのです。
コントロール不可能なのです。
もう自分のからだが何者かに
乗っ取られたかのような感覚に陥ります。
これが毎月繰り返されるのです。
ひと月に10日以上症状が出るときもありました。
今思い出しても、涙があふれます。
このブログを書きながらも、思い出し、
泣いていましたから。
私の場合は、姉が妊娠していることを見ると、
いつも悲しくなり、苦しくなり、
それがきっかけで症状が出ていました。
特に姉と父に対しての暴言がひどかったです。
今思えば、姉は初めての妊娠で
不安もあったと思うのに、
つらかっただろうと思います。
私は混乱の中で、なぜ姉の妊娠がきっかけで
症状が出てきたのかずっと考えていました。
そしてそれは自分の過去にさかのぼり、
5歳ごろの自分がした経験がずっとずっと
残っていることに気づいたのです。
につづく