波動みなさまの足
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という観念を
変えましょう。
なぜならば
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という発想は
「エゴの罠」
だからです。
つまり
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という考え方(観念)
があると
願望達成の邪魔になる。
問題解決の邪魔になる。
という事。
マニアック(?)な言い方をすると
「アセンションの上限が低くなる」
「それ以上高い波動域には行けない」
という事です。
なので
「性格が悪い・いい」という観念は
今、ここで手放しましょう。
そもそも
「性格」に”いい”も”悪い”も無い。
「性格」とは「性質」の事。
・酸っぱい
・甘い
・しおからい
・苦い
というのと同じです。
実際に
「あなたはあの人に甘い」とか
「しょっぱいヤツだなぁ~」と
その人の性質(性格)を
味に例えて表現する事がありますね。
はい。そうなんです。
本当は私達
「性格」とは「性質」である
という事を知っている。
そして
「性質」に”いい””悪い”は無い。
という事もしっかり分かっている。
何故ならば。
「甘い味が好き」とか
「甘い味は嫌い」とは言いますが
「甘い味はいい」とか
「甘い味は悪い」とは言いません。
仮に
「いい・悪い」と言ったとしても
その「いい・悪い」は
「善・悪」ではなくて
「好き、嫌い」を意味しています。
性質に
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
だから同じように
性格(性質)にも
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
もっと言えば
宇宙には
「善・悪」というものも無い。
なのでもう・・・・・
何がどうであっても
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というのは、無いんです。
この発想(アイデア・観念)は
”低い波動域に留まらせよう”
”真実に目覚めないようにしよう”
”ネガティブな観念を持ち続けさせよう”
という
「エゴの罠」なんです。
だから
手放して、変えましょう。
どう変えるのか?
と言うと・・・・
「性格が悪い」
「性格がいい」
から
「ネガティブな観念の現れだな」
「ポジティブな観念の現れだな」
に変える。
なんか・・・・・
その嫌な感じのアレは
「性格が悪い」のではなくて
「ネガティブな観念の現れ」なんです。
なんか・・・・・
そのイイ感じのアレは
「性格がいい」では無くて
「ポジティブな観念の現れ」なんです。
だから
他人であれ、自分であれ
漫画やドラマの登場人物であれ
「性格が悪い」
というような判断が出てきた時は
すかさず!!
「ネガティブな観念の現れだ!」
と思い直すようにするといいでしょう。
自分のソレ、その人のソレは
自分やその人が持っている
観念の現れ(性質)です。
「コーヒー」が苦いのは
・カフェイン
・クロロゲン酸
などなどの
「苦み成分(性質)」が含まれているから
だそうです。
つまり
苦いのは
「コーヒー」ではなくて
カフェインやクロロゲン酸(成分)の
「性質」だという事。
コレを性格に置き換えてみましょう。
例えば。
「〇〇さん」が「威張りんぼう」なのは
「〇〇さん」が「威張りんぼうだから」
ではありません。
「〇〇さん」が持っている
何らかのネガティブな観念が
「威張る」という形で出現しているだけ。
なんです。
例えば
「〇〇さん」が持っている*
「劣等感」という観念(成分)が
「威張る」という性格(性質)に
なっているだけである。
という事です。
人間もコーヒーも
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なんです。
なので
「〇〇さんは性格が悪い
だっていつも威張ってるんだもん
プリプリフガフガ!!」
ではなくて
「〇〇さんは威張っているように見える
という事は・・・
○○さんのアレは
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析するようにしてみる。
すると。
すごい冷静になれます。
人間の(性格の)仕組みが
すごい分かるようになります。
人の性格の全ては
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なのだな・・・・!!
という事が腑に落ちて行きます。
だから
他人に振り回されなくなっていく。
感情的にギャーっとなる事が
どんどん減って行くし
人づきあいが楽になるでしょう。
ここが
今、私達が超えたいラインです。
「性格がいい、悪い」
という観念を手放して
このラインを超えると・・・・
一気に人間社会は平和になる。
そして
このラインを超えた人と超えない人で
世界はパックリ分かれて行くでしょう。
さて。
「コーヒー」が苦いのは
カフェインやクロロゲン酸などなどの
成分(性質)のアレでした。
でもこれ、もっと言うと・・・
カフェインやクロロゲン酸などの
「苦み成分」を
「自分の味覚」が
苦いと「感じさせる」から
苦いと「感じる」んです。
自分の味
が
苦み成分を苦いと感じなければ
コーヒーは苦くない。
つまり
結局「苦い」を作っているのは
「自分」という事です。
だから
同じように・・・・・
「あの人」や「自分」の
・ネガティブな観念
・ネガティブな観念の現れ
を作っているのも「自分である」
という事になるんです。
自分の中の
何らかのネガティブな観念が
現実に反映して(映って)
「それ」になっている。
例えば
他人の劣等感(ネガティブな観念)。
あの人の劣等感からくる
あの人の「威張りんぼう」も
結局は
「自分の何らかの観念」が
現実化したものなんです。
だから
「○○さんの”威張る”は
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析して・・・
答えが出たら!!
それをそのまま自分に当てはめる。
例えば
「〇〇さんの”威張る”は
劣等感の現れだな!!」
と思ったならば
「自分の劣等感」
をリサーチする。
・自分にはどんな劣等感があるだろうか?
・劣等感からついついやっている事は
一体どんな事だろうか?
・劣等感から虚勢を張ったり
オドオドしていないだろうか?
などなど
「劣等感」というテーマで
自分をリサーチする。
ちなみに
威張る人とエンカウントしやすい人は
「劣等感からオドオドする」という癖が
あるかもしれません。
威張る人と威張られる人は
「劣等感」で繋がっている。
威張る←「劣等感」→威張られる
という感じです。
この図式は全てにおいて共通です。
例えば
奪う←「欠乏感」→奪われる
とか
責める←「復讐心」→責められる
などなど
自分と相手には
自分←「課題(クエスト)」→相手
という感じで
必ず共通した課題(クエスト)がある。
だから
相手を分析するという事は
自分を分析するという事でもある。
他人を分析した方が分かりやすい事が
多々ある。
他人を分析したからこそ
「マジで変わろう!!」
という気になる場合が多々ある。
だから
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というので片付けてしまうと
そこから先に進めないんです。
もちろん
「〇〇さんが威張るのは劣等感だ!」
「あ~やだやだ劣等感の強い人って
本当にホニャホニャホニャ・・・・」
という方向に進んでしまったら
これ・・・
「エゴの手中にドハマり」
です。
これではもちろん進めない。
だから
自分に当てはめて、リサーチする。
繋がりたくない相手との関係は
自分←「クエスト」→相手
この、クエスト↑を解消すると
自動的に切れます。
「クエスト」が
自分とその人のその関係を繋げている。
「クエスト」が
自分とその人をくっつける磁石なんです。
だから
自分がその磁石を手放せば
当然繋がりは切れる。
人間関係がうまく行けば
人生のストレスはほぼ消える
と言っても過言ではないでしょう。
そして
人間関係は
こうやって変える事が出来るんです。
今までは
「心理学」
・こいう時はこうするといい
・こういう人にはこうするといい
という外側のテクニックで
人間関係、お商売をなんとかしよう
としていましたが・・・・・
これは
うまく行ったり
うまく行かなかったりするんです。
そして
これからはどんどん
この方法はうまく行かなくなります。
どうなるかというと・・・・
この方法を使えば使う程
自分が
支配される、操作される
という事になって行きます。
なぜならば。
心理学を使ってアレコレするのは
心理学を使って
「相手を操作しよう」
というバイブレーション
だからです。
なので当然
自分が「操作」される。
心理学とは
人間の「エゴシステム」を
紐解いたものです。
ゲイン、とか
ハロー効果、とか
こういうのは全部「エゴシステム」
だから
使う(まんまと乗っかる)のではなくて
超えて行くんです。
心理学を勉強すると
いろんなエゴシステムが分かる。
そしたらば
それを使って他人を操作しよう
とするのではなく
それを使って自分が変わる。
それに気付くようにして
それに流されないようにする。
ちょっと話が逸れてきました。
逸れてきましたので・・・・
この話は、ここまでにしましょう。
つまり。
人間関係は変える事が出来るけど
変え方はテクニックじゃない。
根本改革。
自分の観念(クエストクリア)です。
相手と自分を引き合わせている
クエストを発見して、クリアする。
そうすることで
望まない関係は変わって行くし
望む関係が結べるようになる。
自分←「安心」→相手
自分←「信頼」→相手
自分←「尊敬」→相手
いくらでも結べる。
だからそのための土台として
「性格が悪い・性格がいい」
という観念を手放して
「コレは
ネガティブな観念(クエスト)の現れ」
「コレは
ポジティブな観念の現れ」
という観念に変えていきましょう。
ネガティブな場合のお話ばかりを
しましたが・・・・
ポジティブも同じです。
「この人は性格がいい」
ではない。
「ポジティブな観念の現れだ!
一体どんな観念だろう?」
です。
そして
そこで見つけたポジティブな観念も
「自分に当てはめる」
そのポジティブな観念も
「自分の観念の現れ」です。
他人を分析すると
自分の素敵な部分も沢山見えるし
認めざるをえなくなる。
という事ですね。
どんどん見つけ、認めて行きましょう!
(*´ω`*)
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変えましょう。
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があると
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という事。
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「アセンションの上限が低くなる」
「それ以上高い波動域には行けない」
という事です。
なので
「性格が悪い・いい」という観念は
今、ここで手放しましょう。
そもそも
「性格」に”いい”も”悪い”も無い。
「性格」とは「性質」の事。
・酸っぱい
・甘い
・しおからい
・苦い
というのと同じです。
実際に
「あなたはあの人に甘い」とか
「しょっぱいヤツだなぁ~」と
その人の性質(性格)を
味に例えて表現する事がありますね。
はい。そうなんです。
本当は私達
「性格」とは「性質」である
という事を知っている。
そして
「性質」に”いい””悪い”は無い。
という事もしっかり分かっている。
何故ならば。
「甘い味が好き」とか
「甘い味は嫌い」とは言いますが
「甘い味はいい」とか
「甘い味は悪い」とは言いません。
仮に
「いい・悪い」と言ったとしても
その「いい・悪い」は
「善・悪」ではなくて
「好き、嫌い」を意味しています。
性質に
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
だから同じように
性格(性質)にも
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
もっと言えば
宇宙には
「善・悪」というものも無い。
なのでもう・・・・・
何がどうであっても
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というのは、無いんです。
この発想(アイデア・観念)は
”低い波動域に留まらせよう”
”真実に目覚めないようにしよう”
”ネガティブな観念を持ち続けさせよう”
という
「エゴの罠」なんです。
だから
手放して、変えましょう。
どう変えるのか?
と言うと・・・・
「性格が悪い」
「性格がいい」
から
「ネガティブな観念の現れだな」
「ポジティブな観念の現れだな」
に変える。
なんか・・・・・
その嫌な感じのアレは
「性格が悪い」のではなくて
「ネガティブな観念の現れ」なんです。
なんか・・・・・
そのイイ感じのアレは
「性格がいい」では無くて
「ポジティブな観念の現れ」なんです。
だから
他人であれ、自分であれ
漫画やドラマの登場人物であれ
「性格が悪い」
というような判断が出てきた時は
すかさず!!
「ネガティブな観念の現れだ!」
と思い直すようにするといいでしょう。
自分のソレ、その人のソレは
自分やその人が持っている
観念の現れ(性質)です。
「コーヒー」が苦いのは
・カフェイン
・クロロゲン酸
などなどの
「苦み成分(性質)」が含まれているから
だそうです。
つまり
苦いのは
「コーヒー」ではなくて
カフェインやクロロゲン酸(成分)の
「性質」だという事。
コレを性格に置き換えてみましょう。
例えば。
「〇〇さん」が「威張りんぼう」なのは
「〇〇さん」が「威張りんぼうだから」
ではありません。
「〇〇さん」が持っている
何らかのネガティブな観念が
「威張る」という形で出現しているだけ。
なんです。
例えば
「〇〇さん」が持っている*
「劣等感」という観念(成分)が
「威張る」という性格(性質)に
なっているだけである。
という事です。
人間もコーヒーも
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なんです。
なので
「〇〇さんは性格が悪い
だっていつも威張ってるんだもん
プリプリフガフガ!!」
ではなくて
「〇〇さんは威張っているように見える
という事は・・・
○○さんのアレは
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析するようにしてみる。
すると。
すごい冷静になれます。
人間の(性格の)仕組みが
すごい分かるようになります。
人の性格の全ては
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なのだな・・・・!!
という事が腑に落ちて行きます。
だから
他人に振り回されなくなっていく。
感情的にギャーっとなる事が
どんどん減って行くし
人づきあいが楽になるでしょう。
ここが
今、私達が超えたいラインです。
「性格がいい、悪い」
という観念を手放して
このラインを超えると・・・・
一気に人間社会は平和になる。
そして
このラインを超えた人と超えない人で
世界はパックリ分かれて行くでしょう。
さて。
「コーヒー」が苦いのは
カフェインやクロロゲン酸などなどの
成分(性質)のアレでした。
でもこれ、もっと言うと・・・
カフェインやクロロゲン酸などの
「苦み成分」を
「自分の味覚」が
苦いと「感じさせる」から
苦いと「感じる」んです。
自分の味
が
苦み成分を苦いと感じなければ
コーヒーは苦くない。
つまり
結局「苦い」を作っているのは
「自分」という事です。
だから
同じように・・・・・
「あの人」や「自分」の
・ネガティブな観念
・ネガティブな観念の現れ
を作っているのも「自分である」
という事になるんです。
自分の中の
何らかのネガティブな観念が
現実に反映して(映って)
「それ」になっている。
例えば
他人の劣等感(ネガティブな観念)。
あの人の劣等感からくる
あの人の「威張りんぼう」も
結局は
「自分の何らかの観念」が
現実化したものなんです。
だから
「○○さんの”威張る”は
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析して・・・
答えが出たら!!
それをそのまま自分に当てはめる。
例えば
「〇〇さんの”威張る”は
劣等感の現れだな!!」
と思ったならば
「自分の劣等感」
をリサーチする。
・自分にはどんな劣等感があるだろうか?
・劣等感からついついやっている事は
一体どんな事だろうか?
・劣等感から虚勢を張ったり
オドオドしていないだろうか?
などなど
「劣等感」というテーマで
自分をリサーチする。
ちなみに
威張る人とエンカウントしやすい人は
「劣等感からオドオドする」という癖が
あるかもしれません。
威張る人と威張られる人は
「劣等感」で繋がっている。
威張る←「劣等感」→威張られる
という感じです。
この図式は全てにおいて共通です。
例えば
奪う←「欠乏感」→奪われる
とか
責める←「復讐心」→責められる
などなど
自分と相手には
自分←「課題(クエスト)」→相手
という感じで
必ず共通した課題(クエスト)がある。
だから
相手を分析するという事は
自分を分析するという事でもある。
他人を分析した方が分かりやすい事が
多々ある。
他人を分析したからこそ
「マジで変わろう!!」
という気になる場合が多々ある。
だから
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というので片付けてしまうと
そこから先に進めないんです。
もちろん
「〇〇さんが威張るのは劣等感だ!」
「あ~やだやだ劣等感の強い人って
本当にホニャホニャホニャ・・・・」
という方向に進んでしまったら
これ・・・
「エゴの手中にドハマり」
です。
これではもちろん進めない。
だから
自分に当てはめて、リサーチする。
繋がりたくない相手との関係は
自分←「クエスト」→相手
この、クエスト↑を解消すると
自動的に切れます。
「クエスト」が
自分とその人のその関係を繋げている。
「クエスト」が
自分とその人をくっつける磁石なんです。
だから
自分がその磁石を手放せば
当然繋がりは切れる。
人間関係がうまく行けば
人生のストレスはほぼ消える
と言っても過言ではないでしょう。
そして
人間関係は
こうやって変える事が出来るんです。
今までは
「心理学」
・こいう時はこうするといい
・こういう人にはこうするといい
という外側のテクニックで
人間関係、お商売をなんとかしよう
としていましたが・・・・・
これは
うまく行ったり
うまく行かなかったりするんです。
そして
これからはどんどん
この方法はうまく行かなくなります。
どうなるかというと・・・・
この方法を使えば使う程
自分が
支配される、操作される
という事になって行きます。
なぜならば。
心理学を使ってアレコレするのは
心理学を使って
「相手を操作しよう」
というバイブレーション
だからです。
なので当然
自分が「操作」される。
心理学とは
人間の「エゴシステム」を
紐解いたものです。
ゲイン、とか
ハロー効果、とか
こういうのは全部「エゴシステム」
だから
使う(まんまと乗っかる)のではなくて
超えて行くんです。
心理学を勉強すると
いろんなエゴシステムが分かる。
そしたらば
それを使って他人を操作しよう
とするのではなく
それを使って自分が変わる。
それに気付くようにして
それに流されないようにする。
ちょっと話が逸れてきました。
逸れてきましたので・・・・
この話は、ここまでにしましょう。
つまり。
人間関係は変える事が出来るけど
変え方はテクニックじゃない。
根本改革。
自分の観念(クエストクリア)です。
相手と自分を引き合わせている
クエストを発見して、クリアする。
そうすることで
望まない関係は変わって行くし
望む関係が結べるようになる。
自分←「安心」→相手
自分←「信頼」→相手
自分←「尊敬」→相手
いくらでも結べる。
だからそのための土台として
「性格が悪い・性格がいい」
という観念を手放して
「コレは
ネガティブな観念(クエスト)の現れ」
「コレは
ポジティブな観念の現れ」
という観念に変えていきましょう。
ネガティブな場合のお話ばかりを
しましたが・・・・
ポジティブも同じです。
「この人は性格がいい」
ではない。
「ポジティブな観念の現れだ!
一体どんな観念だろう?」
です。
そして
そこで見つけたポジティブな観念も
「自分に当てはめる」
そのポジティブな観念も
「自分の観念の現れ」です。
他人を分析すると
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