鳴かぬなら鳴かせてみせよう波動
上野ユリです。
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神さまに導かれ、4か月で人生を劇的に変える~心と身体の引き寄せの法則 ~白い龍が飛んでいるヨガスタジオVol 21~
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今日は何の日だろう。
何の日か知ってる人は教えて下さいー。
なぜなら、今日は宇宙と繋がり
すぎて、もう涙が止まらないのです。
やばい、、、昼ぐらいから
ずっと泣いてる。
今日ねたまたまレイちゃんと歩いてたら、
宇宙と繋がる場所を発見をして
この世界ではないような場所。
そこにいて、ごく自然に瞑想をしてから
涙が溢れて止まらなくなってしまった。
そして、自然の声が今日はすごくて。
すごく聴こえてきて、
苦しいような悲痛の声。
その声があまりにも悲しくて、
仕方なかったけど、宇宙と繋がる場所に
いくと、ピタッとそこは無の世界で
自然の声もやんで、光の世界だけ
になった。
そして、今日は初めて宇宙と天と
ここまで初めて繋がれた日となった。
そこは無の世界で、
私とレイちゃん以外誰もいなくて、
気がついたらどこかにレイちゃんも
行ってしまった。
あの暖かな宇宙と繋がる感覚。
私にとっては5時間ぐらい時が過ぎてた
けど、気がついたら時間をみたら
30分しか経ってなかった。
頭がクラクラして不思議な感覚。
そのまま、いつもの場所にきて、
仕事をしてた。
すると、ゾロゾロと常連のお客さんが
集まってきて、、、
ここにくるのは特殊能力をもってる
人ばかりで。
絵画のアーティスト、本の作家、
イングリッシュガーデンのデザイナー、
ヒーラー、イギリスのピアノ演奏者、
昔大蔵省で勤めてた人、
神戸の財閥のドンとか。
みんなみんな本当にすごい特殊能力の
人ばかり。
そのメンバーが続々と集まってきて、
みんながたわいもない話をしてたら、
急にまた涙が出てきたの。
あぁ、私昔みんなとこうしていたと。
この場所は現代ではない、過去だと。
大学院のときに夢中になって
研究していた絵画の世界。
そして、私はいつもその頃から
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会
が頭の中をよぎってた。
ルノワールの作品。
大学院のときからなぜか頭にこの絵は
残っていた。ルノワールは正直そこまで
惹かれる画家ではなかったけど、
いつも頭にあった。
ふと今日この場所が、
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会
のように感じて、涙が溢れてきた。
この場所は全てイギリスヨーロッパの
アンティークでしめられてる。
そしてとてつもなく磁場の強い、
▲の場所だ。
みんなと過去もこうしていた。
話してた、たわいのない話を
紅茶やコーヒーを飲みながら。
過去とデジャブして、また涙が
止まらなくなった。
みんなは怪訝そうにしてたけど、
過去にきっとみんなでいたといったら、
微笑んでくれた。
そうみんなも分かってるのだ。
私たちが繋がりあってることを。
全ては繋がってる。
感覚が前世、過去、未来を繋ぎ始めた。
タイムスリップしていく。
私はこの場所にいた。
外に気がついたら雨が降り始めた。
また神様は憎い演出をする。
今日この日が終わらなかったらいい。
前世に繋がる、宇宙と繋がるこの感覚。
涙が止まらなくて、
私の魂が叫びたがってる。
魂は輪廻転生する。
今この瞬間の感情が、永遠に
続いて欲しい。
涙が溢れて止まらない日。
宇宙は愛だ。
愛の波動もメッセージも全てが
止まらない日。
この雨だけは永遠に降ってほしい。
宇宙はいつも待っていた。
私が追い付くのを。
ずっとずっと待っていてくれてたのだ。
上野ユリ
【残1】東京4月23日(火) 11:00~12:30
原点回帰覚醒のお茶会
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【残3】東京4月24日(水) 14:30~16:30
女神Venus神さま会議
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波動 センチメンタル50%ジャーニー。
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という観念を
変えましょう。
なぜならば
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という発想は
「エゴの罠」
だからです。
つまり
「性格が悪い」とか
「性格がいい」という考え方(観念)
があると
願望達成の邪魔になる。
問題解決の邪魔になる。
という事。
マニアック(?)な言い方をすると
「アセンションの上限が低くなる」
「それ以上高い波動域には行けない」
という事です。
なので
「性格が悪い・いい」という観念は
今、ここで手放しましょう。
そもそも
「性格」に”いい”も”悪い”も無い。
「性格」とは「性質」の事。
・酸っぱい
・甘い
・しおからい
・苦い
というのと同じです。
実際に
「あなたはあの人に甘い」とか
「しょっぱいヤツだなぁ~」と
その人の性質(性格)を
味に例えて表現する事がありますね。
はい。そうなんです。
本当は私達
「性格」とは「性質」である
という事を知っている。
そして
「性質」に”いい””悪い”は無い。
という事もしっかり分かっている。
何故ならば。
「甘い味が好き」とか
「甘い味は嫌い」とは言いますが
「甘い味はいい」とか
「甘い味は悪い」とは言いません。
仮に
「いい・悪い」と言ったとしても
その「いい・悪い」は
「善・悪」ではなくて
「好き、嫌い」を意味しています。
性質に
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
だから同じように
性格(性質)にも
「善・悪(いい・悪い)」は無い。
もっと言えば
宇宙には
「善・悪」というものも無い。
なのでもう・・・・・
何がどうであっても
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というのは、無いんです。
この発想(アイデア・観念)は
”低い波動域に留まらせよう”
”真実に目覚めないようにしよう”
”ネガティブな観念を持ち続けさせよう”
という
「エゴの罠」なんです。
だから
手放して、変えましょう。
どう変えるのか?
と言うと・・・・
「性格が悪い」
「性格がいい」
から
「ネガティブな観念の現れだな」
「ポジティブな観念の現れだな」
に変える。
なんか・・・・・
その嫌な感じのアレは
「性格が悪い」のではなくて
「ネガティブな観念の現れ」なんです。
なんか・・・・・
そのイイ感じのアレは
「性格がいい」では無くて
「ポジティブな観念の現れ」なんです。
だから
他人であれ、自分であれ
漫画やドラマの登場人物であれ
「性格が悪い」
というような判断が出てきた時は
すかさず!!
「ネガティブな観念の現れだ!」
と思い直すようにするといいでしょう。
自分のソレ、その人のソレは
自分やその人が持っている
観念の現れ(性質)です。
「コーヒー」が苦いのは
・カフェイン
・クロロゲン酸
などなどの
「苦み成分(性質)」が含まれているから
だそうです。
つまり
苦いのは
「コーヒー」ではなくて
カフェインやクロロゲン酸(成分)の
「性質」だという事。
コレを性格に置き換えてみましょう。
例えば。
「〇〇さん」が「威張りんぼう」なのは
「〇〇さん」が「威張りんぼうだから」
ではありません。
「〇〇さん」が持っている
何らかのネガティブな観念が
「威張る」という形で出現しているだけ。
なんです。
例えば
「〇〇さん」が持っている*
「劣等感」という観念(成分)が
「威張る」という性格(性質)に
なっているだけである。
という事です。
人間もコーヒーも
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なんです。
なので
「〇〇さんは性格が悪い
だっていつも威張ってるんだもん
プリプリフガフガ!!」
ではなくて
「〇〇さんは威張っているように見える
という事は・・・
○○さんのアレは
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析するようにしてみる。
すると。
すごい冷静になれます。
人間の(性格の)仕組みが
すごい分かるようになります。
人の性格の全ては
「成分(観念)」からの「性質(性格)」
なのだな・・・・!!
という事が腑に落ちて行きます。
だから
他人に振り回されなくなっていく。
感情的にギャーっとなる事が
どんどん減って行くし
人づきあいが楽になるでしょう。
ここが
今、私達が超えたいラインです。
「性格がいい、悪い」
という観念を手放して
このラインを超えると・・・・
一気に人間社会は平和になる。
そして
このラインを超えた人と超えない人で
世界はパックリ分かれて行くでしょう。
さて。
「コーヒー」が苦いのは
カフェインやクロロゲン酸などなどの
成分(性質)のアレでした。
でもこれ、もっと言うと・・・
カフェインやクロロゲン酸などの
「苦み成分」を
「自分の味覚」が
苦いと「感じさせる」から
苦いと「感じる」んです。
自分の味
が
苦み成分を苦いと感じなければ
コーヒーは苦くない。
つまり
結局「苦い」を作っているのは
「自分」という事です。
だから
同じように・・・・・
「あの人」や「自分」の
・ネガティブな観念
・ネガティブな観念の現れ
を作っているのも「自分である」
という事になるんです。
自分の中の
何らかのネガティブな観念が
現実に反映して(映って)
「それ」になっている。
例えば
他人の劣等感(ネガティブな観念)。
あの人の劣等感からくる
あの人の「威張りんぼう」も
結局は
「自分の何らかの観念」が
現実化したものなんです。
だから
「○○さんの”威張る”は
何らかのネガティブな観念の現れだ。
さて、どんな観念の現れなのだろう?」
と分析して・・・
答えが出たら!!
それをそのまま自分に当てはめる。
例えば
「〇〇さんの”威張る”は
劣等感の現れだな!!」
と思ったならば
「自分の劣等感」
をリサーチする。
・自分にはどんな劣等感があるだろうか?
・劣等感からついついやっている事は
一体どんな事だろうか?
・劣等感から虚勢を張ったり
オドオドしていないだろうか?
などなど
「劣等感」というテーマで
自分をリサーチする。
ちなみに
威張る人とエンカウントしやすい人は
「劣等感からオドオドする」という癖が
あるかもしれません。
威張る人と威張られる人は
「劣等感」で繋がっている。
威張る←「劣等感」→威張られる
という感じです。
この図式は全てにおいて共通です。
例えば
奪う←「欠乏感」→奪われる
とか
責める←「復讐心」→責められる
などなど
自分と相手には
自分←「課題(クエスト)」→相手
という感じで
必ず共通した課題(クエスト)がある。
だから
相手を分析するという事は
自分を分析するという事でもある。
他人を分析した方が分かりやすい事が
多々ある。
他人を分析したからこそ
「マジで変わろう!!」
という気になる場合が多々ある。
だから
「性格が悪い」とか「性格がいい」
というので片付けてしまうと
そこから先に進めないんです。
もちろん
「〇〇さんが威張るのは劣等感だ!」
「あ~やだやだ劣等感の強い人って
本当にホニャホニャホニャ・・・・」
という方向に進んでしまったら
これ・・・
「エゴの手中にドハマり」
です。
これではもちろん進めない。
だから
自分に当てはめて、リサーチする。
繋がりたくない相手との関係は
自分←「クエスト」→相手
この、クエスト↑を解消すると
自動的に切れます。
「クエスト」が
自分とその人のその関係を繋げている。
「クエスト」が
自分とその人をくっつける磁石なんです。
だから
自分がその磁石を手放せば
当然繋がりは切れる。
人間関係がうまく行けば
人生のストレスはほぼ消える
と言っても過言ではないでしょう。
そして
人間関係は
こうやって変える事が出来るんです。
今までは
「心理学」
・こいう時はこうするといい
・こういう人にはこうするといい
という外側のテクニックで
人間関係、お商売をなんとかしよう
としていましたが・・・・・
これは
うまく行ったり
うまく行かなかったりするんです。
そして
これからはどんどん
この方法はうまく行かなくなります。
どうなるかというと・・・・
この方法を使えば使う程
自分が
支配される、操作される
という事になって行きます。
なぜならば。
心理学を使ってアレコレするのは
心理学を使って
「相手を操作しよう」
というバイブレーション
だからです。
なので当然
自分が「操作」される。
心理学とは
人間の「エゴシステム」を
紐解いたものです。
ゲイン、とか
ハロー効果、とか
こういうのは全部「エゴシステム」
だから
使う(まんまと乗っかる)のではなくて
超えて行くんです。
心理学を勉強すると
いろんなエゴシステムが分かる。
そしたらば
それを使って他人を操作しよう
とするのではなく
それを使って自分が変わる。
それに気付くようにして
それに流されないようにする。
ちょっと話が逸れてきました。
逸れてきましたので・・・・
この話は、ここまでにしましょう。
つまり。
人間関係は変える事が出来るけど
変え方はテクニックじゃない。
根本改革。
自分の観念(クエストクリア)です。
相手と自分を引き合わせている
クエストを発見して、クリアする。
そうすることで
望まない関係は変わって行くし
望む関係が結べるようになる。
自分←「安心」→相手
自分←「信頼」→相手
自分←「尊敬」→相手
いくらでも結べる。
だからそのための土台として
「性格が悪い・性格がいい」
という観念を手放して
「コレは
ネガティブな観念(クエスト)の現れ」
「コレは
ポジティブな観念の現れ」
という観念に変えていきましょう。
ネガティブな場合のお話ばかりを
しましたが・・・・
ポジティブも同じです。
「この人は性格がいい」
ではない。
「ポジティブな観念の現れだ!
一体どんな観念だろう?」
です。
そして
そこで見つけたポジティブな観念も
「自分に当てはめる」
そのポジティブな観念も
「自分の観念の現れ」です。
他人を分析すると
自分の素敵な部分も沢山見えるし
認めざるをえなくなる。
という事ですね。
どんどん見つけ、認めて行きましょう!
(*´ω`*)
どんな内容であれ
質問をしたくなったあなたへ
・一番大事な記事
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『大いなる全て』の持つ独特の波動は『無条件の愛』のエネルギーです。でも地球上には沢山のタイプの『愛』が存在していて、本当の『愛の本質』が誤解されて受け止められている事が多々あります。例えば愛の鞭や憎しみの愛などがそうです。でもその中で一番『無条件の愛』に近いエネルギーを表す言葉があるとしたら、それは母性や感謝かもしれません。相手を無条件に受け入れるだけでなく、自分自身をも無条件に受け止める”統合するエネルギー”だからです。
『無条件の愛』はネガティブな想いを相手にぶつけるエネルギーでも、放ったらかしのエネルギーでもありません。『無条件の愛』とは条件無しに愛して受け止める事なんです。ですから、とてつもなく巨大で神聖なエネルギーを意味しています。
私達は長い間『無条件の愛』を神だと捉えてきています。でも生命体のすべては『無条件の愛』そのものから造られた存在なわけですから、私達もまた神の存在だと言えるのです。その神なる存在の私達が今まさに『無条件の愛』を物質化する世界へと移行中というわけなのです。