東大教授はコンプレクッスの夢を見るか
こんにちは、
世界で美しく生きるフィロソフィー主宰
中川チカです。
ど田舎で生まれたわたしが、
世界で働くキャリアウーマンに憧れて、
のちに、世界37か国、
暮らした国3か国、
習得した言語4ヶ国語、
アジア・欧州の航空会社で
50国以上の同僚、
1万人以上の外国人の方との交流を
するようになるまでの
コンプレクッスとの戦い、
挫折のストーリーを書きました。
恥ずかしい想いもありますが、
自分の未来は、じぶんでいかようにも
変えれるということをお伝えしたくて、
シリーズで綴っています。
今日は、第11話、
「最高のタイ生活を手放し、ドイツ移住を決めたきっかけ」
です。
ミュンヘンでのある女性との出会い、
世界で個展を開く女性のお父さんとのチェンマイでの出会いなど、
ドイツへの扉が開かれたきっかけを綴っています
*******
記事を読んでくださった方から、たくさんの感想をいただきました。
感謝の気持ちでいっぱいです^^
圧倒されました!やっぱり人間ってすごい!面白い!
読む人の生きる力をえぐりだすような力強さを感じます
やりたい事は全部やる、やれないと制限をかけているのは自分自身なんだよね。
今 色んな事を同時にやっていて丁度行き詰まっていたので、すっごい気づきを貰いました!
チカさんのバックグラウンドを知ることができる、臨場感のある記事。
すごい臨場感んがありました!!ドキドキしましたー!
ちかさんのブログはどれも(まだ数える程しか読んでませんが)
濃厚、読み応えがあって、すごくエナジーを分けていただけます!すばらしい!!!
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バックナンバーはこちらから。
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話
健康的に美しく生きる秘訣を追求する
その日、私は、ミュンヘンの空港で、
ずらりと並ぶ、飛行機を眺めていた。
タイで感じ初めていた違和感の
正体をみつけたような気がした。
タイの航空会社で働いたことが
きっかけで、
肌や見た目に気をつかい、
サービスマインドが旺盛な
集団に身をおくことで、
これまでにないほど、
人が心も体も健康で美しくいるためには、
どんな要素が必要なのだろう?
と興味がふつふつ沸いていた。
どんな仕事も、もちろんそうだけれど、
特に、1日に何百人の人と関わる仕事で、
笑顔やホスピタリティーを求められるとき、
当然ながら、
自分の心が充実し、
体が健康でないと、
イキイキと楽しい空間は
生みだすことができない。
そんな時に出会ったのが、
アロマセラピー、
オーガニックコスメ、瞑想、
そして、栄養や野菜に関することを
学べる野菜ソムリエの講座だった。
インドやアメリカで修行をした
タイ人の先生がクラスをもつヨガの
クラスにも通いはじめ、
オーガニック農法に興味を持ち、
偶然にも、世界で唯一の海外支部、
バンコクの野菜ソムリエのメンバーになり、
タイ国内でオーガニック農法を実践される
日本人の経営者の方にも話を聞きに行くなど、
どんどん、はまっていった。
その中で、タイ料理をベースとした
マクロビの食事をつくる人がいると聞きつけると、
その人の元へ行き、料理について、
いろいろ、質問をさせてもらったらりしていた。
タイといえば、
タイマッサージで、私自身、
受けてみて、本当に癒される経験を何度もした。
これも、人をより健康で美しくする
方法だと思った私は、
まもなくて、ワットポーというタイの
伝統的なタイマッサージを習うために、
有給休暇をつかって、学校に通った。
その当時の本棚を思い返してみると、
自然療法、セラピー、
ナチュラルコスメ、食事療法、
など、「健康」「美容」「癒し」を
テーマにしたものがどんどん増えていった。
直感的に惹かれて仕方がないものは、自分の道に通じている
そんなときに、偶然、
インターネットで見つけた一人の
女性に心を奪われた。
彼女の名前は、
CHICO SHIGETA
彼女の提唱するバイタリティーコーチング
というものに、直感的に、
探していたのは、これだ!という気持ちになった。
彼女は、フランスのパリに暮らし、
ソフィア・コッポラをはじめとする、
世界的なセレブリティを顧客にもつ
すばらしいセラピストであり、
当時、まだ日本では、
それほど普及していなかった
身にまとうことができるように
科学的に安全に精油を配合し、
すばらしいプロダクトを日本へと
送り込んだ人だ。
彼女の提唱する、
人がより健康で美しくいるためには、
植物の癒し力、セルフマッサージ、
毎日の食事、意識した呼吸
の4つの柱が必要だと言っている。
すばらしいセオリーだと感動した。
なぜ、それほど惹かれたかたといえば、
振り返ってみると、セオリーもさることながら、
彼女の生き方、そのものにだった。
美しさとは、自
を生きることから生まれる唯一無二の輝きだと思う
美しいというのは、
流行りのお化粧をして着飾ることではない。
自分が心から愛することを仕事にして、
世の中に貢献し、
唯一無二である自分という存在を
心から愛している人だとわたしは思う。
それでいて
存分に、世界を遊び場に生きるような
いつまでも、自由奔放で、
心から笑い、体の中から美しく
それでいて、健康的にセクシーで、
同時に経済的にも自立して、
世界をよりよくする大きなビジョンも
もっている人。
彼女の生き方には、
人の真似をするのでなくて、
自分自信という個が発する美しさこそが、
本当の美しさだという
メッセージがつまっているように感じた。
個が誰かの真似をするのをやめ、
自分自身の中にある、きらめきに気づき、
慈しみ、育てていき、世界に表現するとき、
そういう人の美しさは、
本当に唯一無二である。
こんなに素敵な日本人女性が
いるんだ・・と
バンコクの部屋で、
インターネットの画面越しにフリーズして
しまった。
これほど、感動したら、
それは、もうサイン。
のちに、
エッフェル塔が見えるパリにある
SHIGETAのショールームへ行き、
CHICOさんとお会いできたときは、
感無量だった。
探究心にそえば、自分の道はおのずと開かれる
そんな風にして、
人が健康で美しく
よりよく生きるためには?
という探求心は、
成功哲学や、精神的な面にとどまらず、
呼吸法、植物療法、食事、マッサージなど、
どんどん、強くなっていた。
タイで感じ初めていた違和感の
正体、
それは、わたしは、
今、新たに自分が探求してみたい
テーマに出会ったということを意味していた。
探求したいものは、
自然療法、その本場は、
どこだろう?
無意識にインターネットで
夜な夜な、情報を探していた。
大学生のときに、
資格を増やす程度で受けた
アロマセラピーの本場は、
イギリスとフランスであると知った。
そして、ホメオパシーを生んだ国であり、
国家資格として、医師と同じレベルで、
自然療法を施すことができる国が、
ドイツであると知ると、
中学のときに、文集に書いた
「いつか、わたしは、ドイツに住みます」
という言葉と、ふいにリンクして、
「ドイツ」という
ことなのかもしれないと思った。
偶然にも、これ以外は、ないと
出会った老舗のオーガニックコスメの
ブランドも、ほとんどが、ドイツだった
そうして、
オーガニックコスメを仕入れるため、
ドイツのミュンヘンへ行った2度目の滞在で、
自分の探究心が抑えれないレベルにまで
きていることに、はっきりと気づいた。
それは、オーガニックショップで偶然出会った
ある、日本人の同年代の女性との出会いが
大きかった。
おそらく当時、ドイツ国内で
一番、大きなオーガニックショップであった
ミュンヘンのBASICと呼ばれる店内には、
ドイツ全土から集まられた老舗のコスメはじめ、
フランス、イタリアなど、
わたしにとっては宝の宝庫で、
ラベルを裏返してみたり、
店員の方に、いろんなことを教えてもらいながら、
その日も、そこで、
何時間も店内で、ゆっくりと商品を見ていた。
そんなとき、小柄の女性が目に入った。
日本人かな?
このお店にいるなら、きっと話が合うに
ちがいない・・
声、かけような、どうしようかな。。。
と思いながら、少しもじもじしていた。
でも、こういう偶然は、
見逃してはいけないという気持ちが勝った。
「あの、日本人ですか?よかったら、
一緒にお茶しませんか?」
ナンパするのは、恥ずかしかったけど、
結果として、この出会いは、のちに
ものすごいミラクルを運んでくれることになる
彼女は、当時、ミュンヘンでドイツ語を
勉強していて、滞在は1年ほどだという、
そのあとの予定は、まだ決まってないんです^^
でも、すごく楽しいですよ。
ミュンヘンのカフェで、
バンコクのそれとは全く違う
石畳の上で開かれるマーケットの
おしゃれさに目を奪われながら、
人生が一度きりだとしたら、
わたしは、この国住んでみたいかもしれない。
という、妙な現実味感が湧いてきた。
わたしも、住んでみようかな。
と冗談半分にいいながら、
二人でホットショコラを飲みながら、
まるで初めて会ったとは思えないほど、
打ち解けて話をした。
そして、翌日、
バンコク行きの便を待つ間、
私は、ミュンヘンの空港で、
ずらりと並ぶ、飛行機を眺めていた。
飛行機に、
夕日が真っ赤に反射して、
心が透きとおるほどの美しさだった。
わたしの心は、
とっくに答えを知っているようだった。
「人生がたった一度だとしたら、
わたしは、ドイツで暮らしてみたい。」
心の中で、自分の声は、
はっきりした口調で話しかけてきた。
でも、どうしたらドイツに
これるのだろう?
言葉もできないし、
つてもない。
夕日が沈みきるそのときだった。
ゆっくりと滑走路へと向かう
飛行機が目に飛び込んできた。
答えを見つけたようで、
鳥肌が立った。
黄色い鶴をモチーブにした
ロゴがキラキラと輝いて見えた。
***
Lufthansa
***
なるほど、その手があった
だ。
わたしは、一人バンコク行きの便に
乗るとき、
きっといつか、また戻ってくる。
なんの根拠も勝算もないけれど、
そう誓うように、
わたしは飛行機に乗りこんだ。
おわりに
ミュンヘンで出会った彼女の名前は、
ようこちゃんという。
ようこちゃんは、
ドイツでの学びを終え、
のちに、一旦日本に帰国し、
再び、ベルギーのブルージュという街へ渡る。
理由は、伝統的なブルージュの
刺繍に惚れこんだから。
刺繍をやってみようかなという気持ちで
移り住んだ街で、フランスで修業を積んだ
日本人のシェフのたくくんと出会い、結婚。
のちに、彼女と2度目の再会をしたのは、
フランクフルトでだった。
こんな不思議なことがあるのだろうか?
実は、彼女は、私と出会う少し前に、
私の大学時代の友人と
フランクフルトで知り合っていた。
大学時代の友人は、
日本人の画家である旦那さんと一緒に、
ドイツのフランクフルトに移住。
わたしがドイツに移住してから、
全員でフランクフルトの
ラーメン屋に集まり、
やっぱり、不思議な縁が、
人生を運ぶことがあるね、と
麺をすすって汗をかきながら
たくさん話をした。
三回目、ようこちゃんと会ったのは、
ようこちゃん夫婦が日本に帰国すると
決めたタイミングだった。
私もドイツでの生活にすっかり
慣れ3年がたった頃だったと思う。
二人の暮らす、
街自体が世界遺産の街、
ブルージュは、
馬車がよく似合う、
ほんとうにロマンチックな街で、
修道院など、中世にタイムスリップ
したかのようだった。
二人のおうちに泊まらせてもらいながら、
朝ごはんに、フランスとドイツで長く
修業したタクくんが、
わざわざ、前日の夜から
仕込んでくれた焼きたてのベーグルと
アンティークが大好きなようこちゃんが
選んでいるだろうと思われるポットで
淹れてくれるコーヒーは、
格別だった。
二人が、キッチンに並んでいる姿を
見たとき、なんとも癒される温かい雰囲気を
感じた。
日本に帰国したのち、
二人は、新たな夢に向けて、
2年をかけて、お店を開いた。
写真はKotje Le Chocolatからお借りしています。
そのお店は、ほとんどセルフビルド、
愛を込めて、大好きな空間を作っているんだと、
ゆっくり、壁のペンキを塗ったりしている
様子を見ながら、
お店が、少しづつできていくのが
遠くで見ていてうれしかった。
なんのお店を開くの?
ネットごしに話をしながら、
「チョコレート専門店」と聞いたときには、
「そうきたんだー!」と
ベルギーに長く住んでいた二人が織り成す
チョコレート屋さんなんて、夢のようだと思った。
写真はKotje Le Chocolatからお借りしています。
カカオは、ベトナムの農家さんの
ところまで、行き、
現地で厳選するという二人の
こだわりのチョコレート店は、
Kotje コッチェという。
6年前、
ドイツへの合格通知を受けとったとき、
初対面なのに、心の内を相談した人がいる。
ようこちゃんのお父さんだ。
これも、不思議なものだが、
ようこちゃんのお父さんは、芸術家で、
世界中で、個展を開くも、
その中心は、ドイツとタイだった。
二つの国に何度も行ったことが
ある大先輩。
ある日、ようこちゃんから、
父がしばらくタイの古都、
チェンマイの大学で木を切って作品
つくっているから。
と教えてもらって、
わたしは、不意に会いに行こうと決めて、
一人、バンコクからチェンマイに向かった。
採用通知をもらったけれど、
まだ、心の中で迷っていたときだった。
チェンマイ大学のアートセンターの
敷地に、そっと足を踏み入れて、
音がするほうに進んでいった。
「はじめまして、ようこちゃんから
聞いてやってきました。」
そのとき、ようこちゃんの
お父さんは、今にも妖精が現れそうな
大きな大木が美しいカフェで、
なんにも意見を押し付けることなく、
一通り、話を聞いたあと、
ゆっくりと
ーーー
タイは一年中、夏のように暑い。
だから時間に区切りがないように感じられ、
時間を忘れたように毎日が過ぎていくよね。
そういう場所って、実はあんまりない。
ドイツは、また全然ちがう。
でもね、やっぱり行ってみなければ、
その決断が正しいかなんて、
絶対にわからないよ。
ーーー
と温かく話をしださった。
もう、7年前も前の話だ。
近々、二人に会いに那須へ行く予定で、
もしかして、ようこちゃんのお父さんにも
会えたら、改めてお礼を伝えたいと思う。
あの時の決断は、
のちに、涙が枯れるほど、
たくさんの経験を運び、
でも、そのおかげで、
強く、勇ましく、堂々と
のちに、自分の可能性をどこまでも
広げる力をもたらしてくれました。
そして、今、こうして
日本に帰国して、新たに
自分の道を突き詰めていく覚悟に
つながったのだと。
熱くシュミレーション。
話しかけたことで、
こうして縁がつづくのは、
ほんとうにうれしいことです。
お父さん、覚えていないかも
しれないけれど・・・。
ようこちゃんと、たくくんの
チョコレート専門店は、自然豊かな
ようこちゃんの故郷、那須でOPENしています^^
お近くにお寄りのさいには、ぜひ足を運ばれてください。
■Kotje コッチェ
コンプレクッス トンネルのむこうは、不思議の町でした。
す!
「コンプレクッス」という考え方はすでに終わっていると思う
前回の続きです。
さてさて、発表会当日。
その日は朝から全く緊張しておらず、他の生徒さんたちの演奏をとても楽しく聴いていたのですが
やはり舞台袖に入り、自分の前の順番の人になったら急に緊張してドキドキしてきて
深呼吸したり、大丈夫大丈夫と心の中で言ってみたりして、なんとか気持ちを落ち着かせていました。
そしたらふと自分の頭の中に、(私はピアノが弾けなくても価値がある)って言葉が降りてきたんです。
おいおい本番前に何思ってるんだ私?と自分でもビックリしたんですが
その言葉が出てきた途端、なぜかすごく心が軽くなって、気持ちが落ち着いていったんですよ。
自分では全く意識していなかったのですが、私どうやら昔から
ピアノが弾けない自分には価値がないって思っちゃってたみたいなんですよね。
で、急に話飛ぶんですが、実は発表会本番前の鬱々した1週間を過ごしている時、もう一つ自分の中で心を占めてる悩み事がありました。
それは幼稚園のママさん同士の関わりについてなんですが
私、綺麗でオシャレで女って感じのママさんと、ちゃんと目を合わせて普通に話せなくて
いや、綺麗でオシャレまでは大丈夫なんですけど、私のイメージする女な部分が強いと感じてしまうと勝手に気後れして、ちゃんと目を合わせて話せなくなるんです。
私がそんな態度だから相手だって嫌な気持ちになりますよね。
そうしているうちに、前までは普通に挨拶していたのが、なんとなくその方達とはお互い目を合わさず挨拶もしなくなり
まあ気にしなければいいんですが、やっぱり幼稚園にお迎えに行って、園庭でその方がいるとつい逃げ腰になる自分が情けないなと思い
自分なりに、最近買った藤本さきこさんの本を参考にその感情と向き合ってみたんです。
そしたらね、私は、綺麗でオシャレで女って感じの人に、必ず見下されて嫌われるという設定が自分の中にあることに気づいたんですよ。
実はこの設定に気づいたのが発表会の日の朝で
これ変えなきゃなと、私は綺麗でオシャレで女って感じのママさんとも目を合わせて自然に挨拶できるし、気軽にお話しすることができると
自分の今までの設定と、変更後をノートに書いて発表会の会場に向かったんです。
そして本番直前、正直その時にはもうママさん達との関わりなんて考えてる場合じゃなく
しっかり弾かなきゃと集中しようとしてる時に「私はピアノが弾けなくても価値がある」て言葉が自分の中に降ってきて
そしたら突然、自分の中で色々なことが全て繋がったんです。
私ね、ちょっと言うの恥ずかしいんですけど
私はデブだし美人じゃないしオシャレじゃないし頭も良くない、だけどピアノは弾けるんだからすごいでしょって思ってたんです。
それはつまり、ピアノが弾けない私は、ただデブでブスでオシャレのセンスもない、頭も良くない価値のない人くらいに思ってたということでもあり
私は、見た目イマイチかもしれないけど、ピアノ弾けるんだからねっていう、間違ったプライドを保つ方法としてピアノを位置づけしてたんですよ。
だけど、私はずっと、自分がそんな風に思っていることに気付いてなくて
ピアノが弾けなくても自分には価値があるって言葉が降りてきた時、初めて自覚したんです。
そして自覚すると同時に、昔はそうだったかもしれないけど今は違うよねと強く思う自分もいて
じゃあ今の自分にとってピアノとは何なのかと考えた時
私にとってピアノは、人との出会いだったり、本番前の緊張感だったり、練習の大変さだったり、弾けた時の喜びだったり
すべての人が経験する魂が喜ぶ感覚を、私の場合はピアノを通してより深く感じ、豊かにしてもらっていたんだなと気がついて
つまり私にとってピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものであって
自分のコンプレクッスを補うためのものではなかったんです。
なんかね、一見、ピアノを弾くということと、幼稚園ママさんとの関わり問題は全く関係ないように見えて、自分の中では繋がっていたんですよ。
だからこそ、ピアノが弾けなくても私には価値がある。
ピアノは、自分の人生をより豊かにしてくれるものだと気付いた時
私本当にすっきりして、色々なことがとても幸せで嬉しくてたまらなくなったんですよね。
で、本番前にこれだけのことを考えて、肝心の本番どうだったかと言いますと、今回も昔のように緊張しずぎて指が回らなくなるということはなく
ちょっとあれ?というところもありましたが、思い切りよく弾けました。
実は弾き終わって、他の方の演奏を聴くために会場に戻ったら
自分が弾いた直後は、今の私が弾ける精一杯はできたと満足していたはずなのに
他の方の演奏聴いてたら、またいつもの、人と自分を比べて自分を下げる癖が出てきて
私の音楽は他の人に比べて深みがないとか思い始めてしまったのですが
最後に先生や友人が嬉しい感想を言ってくれて
全く知らない奥さんに、あなた月光弾いた方?素晴らしかったわ尊敬しますと言われ
ああ、改善点はあるかもしれないけど、今の自分の精一杯の演奏はできたんだから良かったんだよと、その方達の言葉を素直に受け止めることができました。
そして、きっと今の自分にとってピアノは、誰かに褒めてもらいたい、すごいと言われたいとゆう目的でやるものではなく(もちろんそれもとても嬉しいですが)
何よりも自分を喜ばせるためのもので、言葉のプレゼントは、後から付いてくるもの、副産物なんだなと気づくこともできました。
そんなわけで、なんだかまとまりなくものすごい長文になってしまいましたが
今回発表会や幼稚園ママさんとの関わりを通して、自分はピアノが弾けなくても価値があると心から思えたこと
ピアノは自分の魂を喜ばせ豊かにしてくれるものだと気づけたことに、心から感謝です。
そしてね、私にとって小説を書くことも実はピアノと一緒で
どちらも今全くお金を稼げてるわけではないけど
やっぱり小説を書くこと、ピアノを弾くことは私の人生を豊かにしてれるし
弾くこと、書くことで、自分の魂が喜ぶんですよね。
正直、娘が幼稚園に行くようにはなったものの、結構なんだかんだイベントがあり
家
や子育てしながらピアノ練習したり小説書いたりすることはかなり大変で
実は最近、本気で作家目指したいならピアノはちょっとお休みして、小説書くことだけに集中した方がいいんじゃないかと思うこともあったんですが
やっぱりどちらも私には欠かせないものなので、色々自分の時間の過ごし方を見直して、両方に心を注いで頑張っていくことにしました。
ではでは!
コンプレクッスの通販サイトレビューなどを紹介、便利グッズから定番品まで幅広く取りそろえてます
す!